さきたま古墳公園を出たのが13時、腹は減ったが食堂やレストラン、特にナショナルチェーンは全くない。レストランを探そうとキョロキョロしていても見つかるのは床屋や葬祭場、たまにラーメン屋があっても閉店していてがっかりさせられる。
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行田市駅(秩父鉄道)近くを通過するが事態は改善せず、先に目的地である行田市郷土博物館に向かう。目的は郷土博物館ではなく、再建された忍城の三番櫓である。
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三番櫓は郷土博物館と棟続きであり、また、行田市の古代蓮会館、さきたま古墳公園内の博物館、郷土博物館は同時に訪れると割引になる。
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郷土博物館に入るとまずは忍城の展示がある。忍城(おしじょう)は沼地に作られた一度も落城しなかった難攻不落の平城である。築城は1478年に地元豪族成田氏が行ない、扇谷上杉氏から責められたが、太田道灌の仲介で和睦した。1574年に上杉謙信に城は包囲され、城下に火を放たれたが持ち堪えた。1590年の豊臣秀吉による関東平定の際も石田三成以下に水攻めを受けるが北条側の小田原城を始め、他の城も悉く落城したことを知り、成田氏長は降伏をようやく受け入れた。江戸時代になると忍城は代々譜代大名が治め、阿部忠秋が白河に移ったのちは松平忠義が桑名より入り、明治まで城は残った。(『のぼうの城』和田竜の小説にも登場する)
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今残されているのは高麗門、藩校進修館の門が移築されているくらいであり、御三階櫓は1988年に鉄筋コンクリート構造で外観復興されている。実際の当時の城にあったのは松平忠義が桑名より持ってきた鐘くらいである。
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土浦城同様全くの平城でこの城も堀の中にあるためか別名亀城と呼ばれている。(土浦城も亀城と呼ばれる)
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4階の展望室まで上がると周囲に高い建物がないため、かなり遠くの富士山まで見えるらしいのだが、当日は雲が多く、残念ながら周囲が見える程度であった。
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郷土博物館には行田の伝統産業の足袋作りの様子などを細かく紹介していて足袋を留めるこはぜ専用のミシンがあることを初めてしることができた。
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40分ほどで見学を終え、一路関越道東松山ICを目指す。ランチはようやく午後3時に嵐山PAの蕎麦にありつくことができたのである。(以下、次回)