『関東三十六不動尊巡り』⑱、飛不動尊に参拝したのち、第23番札所橋場不動院に向かう。電車で回る方法もあるが、地図で見ると1.8kmほど。天気もいいし、歩いていくことにした。
飛不動尊を出て右に曲がり、すぐの信号を左に向かう。住所は台東区千束→日本堤と変わっていくがほぼまっすぐに歩く。
気がつくと旧吉原地区、ソープランドの看板と黒服のお兄さん、もちろん呼び込みはしていないが、何となく気が引け通りでついつい早足になる。人通りは少ないが。
さらに行くと山谷らしき地区に入る。なぜ気づいたかというとビジネスホテルという簡易宿泊所、山谷伝導所という教会、職安の出張所、暇そうに地面に座る人々が揃っていたからである。
玉姫公園という小さな公園が玉姫神社の裏手にあるが、高い塀のお陰で中が見えなくなっている。中はホームレスの解放区らしい。
その先の団地を左に曲がり、明治通りに出て右に曲がる。白鬚橋の手前を右に曲がると少し奥まった所に橋場不動尊がある。正式には砂尾山橋場寺、天台宗のお寺で今は浅草寺の末寺となっている。
時が止まったような趣で神社の手前には大きなイチョウの木、12月に入ると黄葉が美しいとのこと。橋場不動院の由来は天平宝字4年(西暦760年)に良弁(ろうべん)僧正が相州大山寺で刻んだ一木三体の不動像を尊像として開創したもの。
本堂は江戸時代に橋場寺として作られたものだが、その後、この辺りを焼き尽くした明治の大火や関東大震災、戦災を経ても火災を免れたとして『霊験あらたかなる被伏の橋場不動院』として信仰の対象となった。
ご本尊の左には富貴弁天、右側には砂尾薬師、前には布袋尊が祀られている。この布袋尊は浅草七福神の一つなのだが、像をよく見ると肩の袋がなく、お腹が袋となっているのが面白い。
今年も暮れようとした中、1年少しで18ヶ所目を回り終え、残りはあと半分となった。ただ、残した札所は房総半島の先端や秩父、成田山、高尾山など遠いところも多く、あと2年はかかるだろうが、何とか無事に結願したいものである。