『夏旅2024』⑮、琵琶湖プリンスホテルで美味い朝食を食べた後、8時半に出発。東京のアンテナショップで教えてもらった白鬚神社に向かう。
浜大津あたりまでは朝の渋滞もあったが、湖西道路に入るとさすが高規格道路(2005年から無料解放)なので走りやすいが、無料だけあって標識が掠れ、路盤もところどころガタガタ。まあ、ただなんだから文句も言えないが。湖西道路、国道161号線を乗り継いで白鬚神社に到着したのが9時半。なにしろ国道沿いに神社があり、ひっきりなしに車が通るが、信号等はなく歩行者が渡るのは危険である。
駐車場は本殿のお隣、本殿は改修工事中である。有名な鳥居はまさに琵琶湖の湖面、少し離れたところにあり、夕日と共に鳥居を入れた写真が人気がある。
相変わらずの晴天続きで駐車場は埃が舞う状態、まだ朝早いのに結構な圏外ナンバーの車で混んでいる。
白鬚神社と付く神社は多いがここが総本宮で近江国最古の神社と言われる。由緒は垂仁天皇25年(西暦BC2000年頃)に皇女倭姫命(やまとひめみこと)が社殿を造られたのが創始である。また、ご祭神は猿田彦命である。分霊社は292にも上る。
階段を上ると外宮、内宮、3社が並び、さらにその上には右から天満宮、稲荷社、寿老人、弁財天、一つ奥に岩戸社が祀られている。上まで登ると湖面がよく見えてなかなか壮観である。
社務所まで周り、御朱印をもらいながら話を伺う。滋賀県のガイドブックに写メで映えると書かれているため、人気が上がることは嬉しいが、前の道路を無理に渡ろうとして事故が起きないかハラハラするとのこと。
その対策ではないが、少し高いところから湖内大鳥居が眺められるようにと展望台も造られたようだ。
あまり足を踏み入れたことのない湖西に来たので少し車を走らせて安曇川(あどがわ、かつての町、2005年の町村合併でマキノ町、今津町など4町1村と合併して現在は高島市安曇川町)に行くことにした。全国的に名が知られているとも言えないが私としては有名人である江戸時代の儒学者、陽明学者である中江藤樹の故郷である。
私が中江藤樹のことを初めて知ったのは小学生の頃に読んだ絵本に『武士の子として生まれた藤樹は祖父に付いて9歳の時米子へ。さらに10歳の時に藩主の国替により伊予大洲に移り、朱子学を学ぶ。母親は夫を失い、安曇川で一人暮らしていたが、冷たい冬の水を使ううちにひどいアカギレになったことを聞き、薬を持って1人で雪道を歩き、母を訪ねる。懐かしい母の顔を見た時に母に追い返される。その際、母が織っていた布を織り機から外して二つに裂き、学業を中途でやめて帰ってくるのはこれと同じことだと教えた。藤樹は泣く泣く大洲に戻って行った。』この物語には他にも新井白石などのエピソードが載っていたが、なぜかよく覚えている。
さらに明治時代に内村鑑三が外国人向けに書いた『代表的日本人』という本に取り上げた5人の日本人の中に西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、日蓮と共に藤樹が入っていて驚いたこともある。
この近江聖人が育った安曇川には中江藤樹記念館、藤樹神社などもある。記念館を訪れたが残念ながら改修中。
しかし、すぐのところに藤樹ゆかりの神社として大正11年に敬慕する人たちにより造られた藤樹神社があり、手を合わせることができた。
すぐそばには『藤樹の里あどがわ』という道の駅もあり、立ち寄った。旅から戻ったら久しぶりに『代表的日本人』を読み返してみることにしたい。(以下、次回)