『ぶらり橋めぐり』その106。渋谷川沿いの橋を巡って歩いているが、川沿いの道がないので右へ左へ振られながら歩く。
すぐに『山下橋』、名前の由来は町の旧称。つまり、1966年の新住居表示の際に恵比寿1丁目に組み入れられたのが『山下町、新橋町、恵比寿通2丁目、下通2、3丁目、恵比寿東2、3丁目』であり、このあたりは山下町だったからである。
次の橋が『新豊沢橋』、ということは豊沢橋は何処へとなるのだが、そばに豊沢橋は実際に存在した。しかし、道路拡張に伴い、この橋が作られ、区画整理で豊沢橋が廃橋となったため、新豊沢橋』のみが現存する。
ここからは一旦明治通りに出てしばらく行く。バス停の先に左に細い道が出てくるが、都立広尾病院に続く。
その上にかかる橋が『回生橋』、名前の由来ははっきりはしないが、病気から回復して帰っていく思いを込めた名前のようである。
続いて『天現寺橋』。渋谷川はここまででこの先の『たぬき橋』からは古川になる。渋谷橋同様の歩道橋があり、渡って降りたあたりに青山墓地あたりからくる笄川(こうがいがわ、暗渠)と古川、渋谷川が合流している。
(笄川、渋谷川、古川の合流部)
全くの余談だが、1924年5月当時の玉川電気鉄道は渋谷橋〜天現寺橋を延伸させて天現寺で東京市電と繋がった。さらに1927年3月にはこの線の支線として渋谷橋〜中目黒を開通。
(大正14年4月号時間表)
玉電は山手線の内側まで延伸、ここを起点にしたのである。その後、渋谷駅の玉電ビルの開業など紆余曲折があり、天現寺線の運行を東京市電に委託、さらに1948年に東京都に譲渡した。1969年に廃止された時は都電34系統であった。もちろん今はその面影さえないのだが。