『改めて日本語について考える』その43。特に最近ということでもないが、カタカナ語で何となくわかった気になっている形容詞・形容動詞が多いことに気づいた。例えば『エキゾチック』、郷ひろみの『2億4千万の瞳』の歌詞に『エキゾチックジャパン〜』が出てきたことをすぐ思い出すが、これを日本語に直すとどうなるのだろうか。
『エキゾチック』(exotic)には2つの意味があり、①異国情緒がある、異国的、②風変わり、奇妙である様と辞書には書いてある。つまり異国風という意味で使う場合は西洋風でも東洋風でも使うことができる。これを西洋風に限ると『バタ臭い』となる。
バタ臭いは明治初期から使われるようになった言葉で文明開化以降、外国人が増え、彼らのことやこれを真似ることを揶揄気味に使われた言葉である。しかし、バターの匂いなど気になるのだろうか。辞書には明治初年は国産バターがなく、輸入に頼っていたが、輸入したバターが臭かったところから出た言葉のようである。
当時の日本人の口に合わなかったという要素もあったかもしれないが。
同じような言葉に『トロピカル』というのがある。toropicalという英語なのだが、これは南洋風、熱帯的と訳される。確かにトロピカルフルーツ、トロピカルドリンク、トロピカルサウンドのように使う。
『ファンキー』(funky)は日本ではもっぱらサウンドのジャンルとして『ファンク』の形容詞という使い方をされる。しかし、元々の意味は『怯えた』『悪臭を放つ』という意味。黒人特有の体臭を意味する隠語からブルース、ゴスペルに繋がる黒人本来の要素を持つサウンドを指すようになったとかんがえられている。
『エキセントリック』(eccentric)な人という場合、どのような人を想像しますか?何となく怒りっぽい、変わり者というイメージと私は思います。本来の意味は個性的で普通にない性格であり、良いとも悪いとも決めていない。ただ、人とは違う言動や奇矯な様子を表すため、否定的な要素が強くなったのかもしれない。音楽家、画家など才能溢れる人に対して使う場合は肯定的な意味にもなるのである。
因みにネットの検索で見た。するとエキゾチックはエキゾチックショートヘヤーという猫、トロピカルはジュース、ファンキーはファンキー加藤、エキセントリックは欅坂48の楽曲と出てくるものがほぼ決まっているのが面白い。
そして外国語を直接カタカナ語として使う場合には本来の意味からかけ離れた使い方が定着しているものもあることに気づいたのである。