『東京の町をぷらっと』その7。今回は日本橋大伝馬町を歩く。地下鉄日比谷線の駅があるため、現在では小伝馬町の方が有名だが、ちゃんと大伝馬町もある。
名前の由来にもなる『伝馬』は馬の背に荷物を載せて宿場間で運ぶことを言い、江戸時代初期は千代田区の呉服町あたりにあり、伝馬を司る役所があったと言われている。1606年慶長年間に浜町一帯の埋立が終了したため、この地に『大伝馬町』も移ったのである。代々天馬役を務めた馬込勘解由の屋敷があり、配下の町人は三河木綿の売買を行った。周辺に繊維関連の問屋が多いのもこの影響があるためで、現在の宝田稲荷も勘解由の屋敷内にあったものである。
また、現在の大伝馬町大通りは旧日光道中のことであり、日光例幣使の宿泊所となった。南側を通る通りを大丸新道というが、これは江戸時代下村正右衛門が営む木綿問屋が繁栄していたことを示すもので因みにデパートの大丸がその後進である。
明治時代までは室町から本町、大伝馬町を通る鉄道馬車が通るなど繁栄は続いたが、一本外の通りに1904年市電が開通すると小伝馬町に移っていった。さらに関東大震災、太平洋戦争と2回灰塵と化し、木綿問屋は無くなってしまった。
日本橋大伝馬町の町巡りスタートは旧日光街道の標識から。すぐに江戸屋という昔ながらの刷毛屋さんが暖簾を構える。
創業は1718年、屋号の江戸屋は将軍家から与えられた歴史ある店で当時この周辺には木綿問屋などがあり、染物屋も多かったため、江戸刷毛を扱ったのであろう。
その先にはHarioガラスの工房があり、アクセサリーやグラスなどを職人が作っている姿を外からも見る事ができる。
また、これ以外にも時代がかった居酒屋や3軒並ぶ看板づくりの2階屋などもある。ただ、偶然一軒の古民家から荷物を運び出すところに出くわし、こうして昔からの建物が失われて行くのかとやや寂しい気持ちとなった。
人形町通りに出る手前には静岡おでんの店や天ぷらや定食屋、立ち食い蕎麦屋などが軒を連ねている一帯がある。全てとは言わないが、それぞれ特徴があり、うまいものを安く出してくれるサラリーマンの味方のような店も多い。(ただ、さかばやしは通りを挟んで小伝馬町側にある。)
もちろんこうした古くからの家屋は少数派であり、三菱UFJ銀行大伝馬町支店に代表されるようなオフィスビルが林立していることは否めない。
隣の日本橋横山町の境あたりは繊維問屋もまだ健在だが、徐々につまらない町となってしまうような気がした。
何せ狭い町のため、すぐ域外に出てしまうので注意が必要な街歩きとなった。