『都営荒川線電停からの散歩』その2。ジョイフル三ノ輪という商店街はその先がT字路になっている。右に曲がるとすぐに国道4号線となるため、左に曲がる。
寂れた商店街かと思っていたが、大違い。肉屋さん、八百屋さん、パン屋さん、珍しいどころでは刃物屋さんなどが並び、昼というのに人通りは多い。
特にお肉屋さん、鶏肉屋さん、八百屋さんは間口も広く、商品も多い。私が目指したのは『南千住砂場』という老舗蕎麦屋さん。
商店街の右側にクラシカルなお店が出てきたのだが、コロナ禍のために臨時休業と書いてある。ぜひにと思っていたが、また、次回のチャンスにお邪魔することにした。
商店街はまだ続くが、きた道を戻り、国道4号線に出る。向かい側に渡ると大きな『餃子屋』の看板。店の規模からしてもかなり大きなものである。
常磐線のガードをくぐり、左を見ると『三ノ輪橋』の由来の案内板、それには『石神井川の支流である音無川にかかった日光街道に掛けられた橋で長さ10m、幅6mの木製橋であった。しかし、農業用水としての役目を終えて明治41年に暗渠となる。今は都電の停留所として名前がのこされている』と言った趣旨が書かれていた。つまり、三ノ輪橋は明治41年に姿を消していたのである。
大関横丁の交差点を左に曲がると永久寺。この寺には江戸五不動のうち、目黄不動尊が祀られている。
その先を左に回り込むとまたお寺。浄閑寺、投げ込み寺として有名である。1855年の安政大地震で多数亡くなった遊女たちが投込同様に葬られたことからこの名前で呼ばれるようになった。また、遊女たちの悲しい生涯に思いを馳せて永井荷風が度々訪れたことでも有名である。私もその後参拝した。
再び、三ノ輪橋電停まで戻る。国道から三ノ輪橋までは旧王電ビルを貫くような形で三ノ輪橋商店街と言っても商店は数店しかないのだが。そして早稲田方面の電車に乗ることにした。(以下、次回)