hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

酒斎いとう(再訪)〜築地グルメ

2022-06-22 05:00:00 | グルメ
ようやく夜の部も少しずつ解禁、先輩にご馳走になる機会があり、私が場所をセッティング。落ち着いて飲める店ということで築地駅からほど近い『酒斎伊とう』のカウンターを予約。

実はこの店はかなりわかりにくい路地にある。久しぶりに行くと確か向かい側にあった店もなくなり、ここ一軒のみとなってしまっていた。

店に入ると先輩は到着済みですぐに席に着く。小瓶のビールで乾杯、6月ともなると蒸し暑いため、この冷えた一杯が嬉しい。すぐにお通しが出される。お盆の上に小さな皿が7つ。右回りにカボチャのスリ流し、わらびの煮物、えんどう豆の塩煮、姫サザエ、タコの桜煮、青菜のおひたし、真ん中が黒ひじき。えんどう豆は冷たく、しっかりと味がついている。黒モズクはやや太く、シャキシャキとした歯応えがいい。

この店は大将が燗酒に凝っていて中々のラインナップ。まずは群馬泉(群馬県)からぬる燗でいただくが、口の中での広がりが素晴らしい。お椀はハタ(詳細を聞いたのだが忘れた)と蓴菜のお汁、夏らしい蓴菜と白身なのに脂の乗ったハタの組み合わせがいい。



刺身は2つ、一皿目は鯛と冬瓜、下に引いてあるのがごま味噌、辛口で酒に合う。酒は大七(福島県)、生酛造り。燗酒にすると旨味がさらにふくらんでたまらない。

2つ目はカジキマグロ、少し醤油に漬けてあるからピンクがやや渋目。トサカノリと茗荷で絡めてある。茗荷の香りと辛味が引き立つ一品である。


焼き物は大将が目の前で炙っていた鯵の柚庵焼き。パリッとした皮、皮目の脂、しっかりと味が乗って旨い。酒は別嬪(鯉川、山形県)。このラベルは初めて見た。つや姫を使った薄濁り、甘さも気にならずずっーと入ってしまう。

煮物は穴子、下には味をつけ、さらに素揚げした里芋、上に乗った目にも鮮やかな緑色の野菜は『アスベルジュ・ソバージュ』という品種で日本語に訳すと『野生のアスパラガス』。パリッとした食感がいい。もちろん手のかかった里芋、わさびを乗せたとろける穴子が美味さ間違いない。

締めは桜エビとキノコの土鍋ごはん、桜エビの赤、キノコの茶色、三つ葉の緑のコントラスト、あっさりとした塩味で皆おかわりをしてしまった。

最後に最中が登場。炭火で温めた皮の中に自家製の餡子とキウイが入っている。イチゴ大福のようなびっくりデザートで最後まで楽しませて頂いた。ご馳走さまでした。

酒斎 伊とう
中央区築地2ー2ー11
0362284979

恵比寿の線路ぎわの花たち

2022-06-21 05:00:00 | 日記
山手線渋谷〜恵比寿部分が開業したのは1885年3月の旧日本鉄道品川線(品川〜赤羽)として敷設されたことに遡る。恵比寿駅から駒沢通りを渡り、しばらくは線路ぎわに道が続く。線路ぎわから小高く土が盛られていて小さな崖のようになり、フェンスが張られている。歩きながらよくみると意外に植物が生え、花が咲いている。



一番幅を利かせているのがアメリカノウゼンカツラという蔓性の植物。よく農家の軒先に咲くオレンジ色のラッパ状の花で、比較的大きく遠くからも目立つ。6月頃から花は咲き始め、盛夏、初秋まで見ることができる。



外来性植物ではあるが、日本の古い植物図鑑・本草和名(918年)にも載っているから渡来は奈良時代以前ということになる。茎が長く伸びて、そこから出た付着根で鉄道を支えるコンクリートに吸着し、またフェンスに絡みついて這い上っている。何株もあり、その繁殖力はただものではない。

他にフェンスに巻き付いているのはコヒルガオである。ヒルガオと葉の形が異なり、真ん中部分が尖っていて、花が少し小さいことからこの名前になった。花の色は薄ピンクで花径は3センチ程度。

あまり知られていないがアサガオと違い、殆ど種をつけることはなく、地下茎で増えていく。地上部は冬になると枯れてしまうが、地下茎は生き残り、翌年春には再び芽を出すのである。

鮮やかな朱色の花を付けているのがヒメヒオオギズイセン(姫緋扇水仙)、南アフリカ産で耐寒性もあり、繁殖力も旺盛。どこでも増える植物であり、一部の都道府県では栽培が禁止されているほどである。



栽培されている植物ではなく、あまりわざわざ見ている人もいないが、季節の移り変わりの中、夏の到来を感じさせてくれる。その先には線路が上を通る小さな跨線橋がある。

長命うどん〜恵比寿ランチグルメ

2022-06-20 05:00:00 | グルメ
恵比寿駅近くでランチとなった。お取引先に向かう途中に新しくできた『長命うどん』といううどん屋さんが気になっていたのでマークはしていたが、今回初めて入店した。

店は11時半オープン、私は11時40分に店に入る。店内はカウンターと周囲に4人掛けの席が配置されていて無垢の木を配した清潔な作り。オーダーは最近流行りのスマホでQRコードを読み込むスタイル。

まずはQRコードを読み込み、メニューを開く。麺をチェックするが、麺はうどん、蕎麦、中華麺の3種類でこれを混ぜることも可。つまり『う中』だとうどん+中華麺となり、これが半分ずつ丼に入ってくる。次にトッピング、天麩羅と続く。

種類が多いため、全部は紹介しないが、『かけうどん+追加ネギ+長ネギのかき揚げ』(640円+50円+200円=890円)とやや高めになった。注文のボタンを押すと『13番さん注文頂きました』という威勢のいい声が厨房から聞こえる。

待つことしばし、次々とお客さんは来るが初めての中年以上の客はやはり戸惑っていて注文に時間がかかってしまう。ただ、さすが恵比寿、スマホを持たないお客さんはいなかったが。

するとうどん登場。かけうどん、追加ネギ、かき揚げがそれぞれに丼や皿に乗って出てくる。まずは一味を振り、追加ネギを入れて一口頂く。


うどんは中太、コシはそれほど強くなく、喉越しがいい。ツユは関西よりは濃いめ、色も濃い。

かき揚げは横が20cm、縦が12cmと丼より大きめ。これを幾つかに割ってうどんに乗せ、頂く。厚みは薄いが、カリッと揚げたてで食感もいい。

ここに中華麺を入れたならばどんな味になるかが気になる。以前姫路駅で日本そばのツユに中華麺を入れた『名物』を食べたことがあったが、あんな感じなのだろうか。

思わず気になってしまった。なかなか美味いうどんだが、名古屋発祥のチェーン店東京進出1号店とのこと。少し値段が高い気もするが、美味しかった。ご馳走さま。

長命うどん 東京本店
渋谷区恵比寿1ー14ー6
05058727976

深大寺から神代植物園へ〜2年ぶりの散策

2022-06-19 05:00:00 | 日記
大師茶屋で腹ごしらえを終え、深大寺にお参りに行く。途中、水車小屋がゴトゴトといいながら回っている。動力が川や家畜くらいしかなかった時代には水車を使い粉を引いていた。



ただ、ここにある水車は明治時代から使われていた水車が壊れたのち、市が再建した物である。逆川の水流を使い、昔ながらの風景を楽しむことができる。

バス停を左に行くと『鬼太郎茶屋』、地元在住だった水木しげる氏のキャラクターである鬼太郎やねずみ男などのグッズを買うことができる。



参道には左右に蕎麦屋が並び、その先に深大寺山門。あまり気にして見ている人はいないが、山門の横には不動の滝がある。

境内は相変わらず人は多く、中に入ると本堂にお参りをする人の列ができていた。

次いで元三大師を祀る元三大師堂に向かう。元三大師は平安時代の比叡山の高僧で正月3日に入滅されたので『元三』と呼ばれている。また、鬼の姿となり、疫病神を退散させた角大師像はお札にして貼ると家内安全と言われ、我が家にも貼ってある。

このお堂には秘仏である元三大師像が祀られていて、かつて中開帳の際にお姿を見たことが一度だけある。



(レプリカ)

最後に2017年に国宝に指定された白鳳仏にお参りをする。釈迦如来像は白鳳時代(7世紀後半〜8世紀初め)に作られた金銅仏で椅子に腰をかけたような体勢。法隆寺の夢違観音像、新薬師寺の香薬師像とともに三大白鳳仏と言われている(香薬師像は盗難中)。来年には新たな白鳳院という展示施設も開館予定である。



深大寺の境内を歩いたのちに坂を登り、神代植物園に行く。バラが開花中ということもあり、バラ園に向かう。そろそろ季節も終わりかけてはいるが、黄色・ピンク色・赤色・紫色など多種多様な花が咲き誇っていた。



ただ、6月はGWの頃と違い、咲いている花が少なく、咲き終わりに近いサツキとアジサイを除くとほとんどない。



展示してある紫陽花を楽しんだのちに園内を見て回ると唯一タイサンボクの大きな白い花を見ることができたくらいであった。



とはいえ2年間来れなかった深大寺や植物園などを時間をかけて見て回るれる幸せを感じながら、いかに普通が大切かを知ることができたような気がした。



大師茶屋で深大寺そばを頂く

2022-06-18 05:00:00 | グルメ
コロナも一段落し、天気も良いので2020年7月以来約2年ぶりに深大寺にお参りに行くことにした。そうなるといつものお店に行ってからまず蕎麦を頂いてからということになり、車を駐車場に停めてから大師茶屋にむかう。


店に着いたのがちょうど12時だったが、幸い4人席が空いていて着席。注文はいつものメニュー、味噌おでん、大ざる、たぬきそば。お蕎麦屋さんは相席を求められることが多いが、この店では相席はない。

店内には席数もあるが、フロアの店員さんも5人ほどいて忙しく動き回っている。5分もしないうちにまずは味噌おでんが到着。三角に切った蒟蒻に甘い味噌がかかっている。本当ならばビールのいいつまみになるのだが、車のため我慢する。



すると蕎麦も到着、大ざるには海苔がたっぷりと乗っている。冷たく冷やしてあり、手打ちならではのコシの強さを感じる。

東京の蕎麦屋のツユとしては甘めなのも好みである。

たぬきそばは天麩羅と共にできた揚げ玉が多数乗っていて香ばしい。こちらもやや甘めのツユ、ついついたっぷりと七味を振って相方に怒られてしまう。

店のあちこちには民芸品やこの辺りの水車小屋の写真が飾られている。すぐ裏には雑木林があり、自然もたっぷりと残されている。



蕎麦の味ももちろんいいが、我が家から車で10分少々走らせただけなのに、まさに茶屋で落ち着くのはストレス発散にはもってこいである。ご馳走さまでした。

外に出ると茶屋の黄地猫がのんびり寝転んでいた。
大師茶屋
三鷹市深大寺元町5ー9ー10
0424825407

こんにゃく閻魔にお参りする。

2022-06-17 05:00:00 | 日記
澤蔵司稲荷を出て左に坂を下る。この坂道が『善光寺坂』、元々は伝通院の塔頭『緑受院』と言ったが、明治17年に信州善光寺の分院となり、善光寺と名前を変えたもので坂の名前は比較的新しい。


坂を下りると通称坂下通りと交差、右に曲がる。目の前に『遠州屋』というもつ焼き屋が見えてくる。銅板貼りの懐かしい建物だが、1928年築らしい。

左側にお寺が出てきて、赤字で『こんにゃくえんま』と書いた石柱が立っている。こんにゃく閻魔の正式名称は浄土宗常光山源覚寺、1624年に定誉随波上人によって創建、本尊は阿弥陀三尊である。江戸時代には4回にわたり火災に見舞われたが、本尊とこんにゃく閻魔像は難を逃れた。

こんにゃく閻魔の由来は宝暦年間(1751〜1764年)1人の老婆が眼病を患い、この閻魔像に日々祈願していたところ、満願の夜に老婆の夢枕に閻魔大王が現れ、『我、日月にも等しい両眼のうち一つをえぐり取って汝に授くべし』と告げた。

その後、老婆の眼は治り、以来この老婆は感謝の印として自分が好きなこんにゃくを断って閻魔大王に備え続けた。それゆえ、こんにゃく閻魔像の右目が濁っている、と言われている。

閻魔像は鎌倉時代慶派の作品と言われ、高さ100.4cmの木製閻魔大王坐像である。今でも眼病治癒にご利益があるとしてお堂にある閻魔像の写真には沢山のこんにゃくが備えてある。本堂自体は小さいが、隣に立つ立派な建物は立体墓のようである。



眼にご利益があると聞き、しっかりと参拝をし、後楽園駅に向かった。

This is The Burger(8年ぶりの再訪)〜国分寺ランチグルメ

2022-06-16 05:00:00 | グルメ
国分寺駅に久しぶりに降りた。ランチに行こうとするのな駅から殿が谷庭園に向かう途中、駅からわずか2分くらいのところにある『This is The Burger』というハンバーガー屋さん。前回訪れたのが2014年6月のことだから店があるかが心配だったがちゃんとやっていた。

店に着いたのが11時50分、しかし店内にお客さんの姿はない。店員の若い男性が迎えてくれた。8年ぶりの往訪を伝え、頑張っていると聞くとやや悲しそうになんとか持ち堪えていますとの返事。

メニューが沢山あることは知っているが、1番のおすすめ、『ベーコンチーズバーガー』(890円)をお願いする。ランチサービスにオニオンリングかフレンチフライが付くが、オニオンリングにする。飲み物はコーラ(250円)にした。

席について店内を見渡すが、ほとんど変わっていない。アメリカ風の派手なネオン管、タイルで店の名前が作り込んだカウンター、ビールの入ったクーラー。変わったのはテーブルの上に備えてあるケチャップとマスタードが使い切りのものになったくらい。

よくわからないアメリカ映画と立て続けに流れるプレスリー、時が止まっている。と感動に浸っているうちにハンバーガーとコーラが到着した。

私は上のバンズを剥がし、ベーコンを避けて添えてあるピクルスを乗せ、さらにケチャップとマスタードを掛け、ベーコンとバンズを戻す。これを慎重に紙袋にいれて準備OK。

まずは千切りキャベツから片付け、オニオンリングにケチャップを掛けて1つ頂く。前回の上野のハンバーガー屋さんはマヨネーズだったが、やはりケチャップの方がピッタリくる。

いよいよハンバーガーに一口目、少し潰してゆっくり口を開けてガブリ。急がないのはベーコンを噛みちぎらないと全て出てくるからである。網焼きのパティの香ばしさ、ベーコンの塩気、トマト・オニオン・何枚も重ねてあるレタス、これらが渾然一体となり旨味を感じる。



8年前の記憶が蘇るほど美味い。普段と違い、一口ずつ味わって頂くがやはりあっという間に完食。それにしてもコーラがぴったり、私にはビールよりこちらの方が合う気がする。

レジの店員の人にまた来るから頑張って下さいと思わず声をかける、実はいつのことになるかはわからないが。とにかく、いい雰囲気も変わらないハンバーガー屋いつまでもあってほしいと思った。ご馳走様でした。
This is The Burger
国分寺市南町2ー16ー21
05058900566

澤蔵司稲荷(たくぞうすいなり)

2022-06-15 05:00:00 | 日記
文京区春日にある伝通院の近くに『澤蔵司稲荷』がある。伝通院は徳川家康の生母於大の方の追善のために、1620年に建立された徳川家の菩提寺である。その伝通院の極大和尚の夢枕に現れた僧侶が現れることを予言、夢のとおりに修行僧が浄土教を学びたいと現実に現れ、寺で学ぶことを許したが、彼こそが澤蔵司(たくぞうす)である。

(伝通院)

澤蔵司は優秀で3年余りで浄土教の奥義を全て習得、その立ち振る舞いからも周囲に尊ばれていた。1620年5月に再び伝通院住職の廓山上人と極大和尚の夢枕に立ち、『余は太田道灌が江戸城に勧進した稲荷大明神であり、皆により浄土教を習得することができた。余は再び稲荷大明神になり戻るが、今後は当山を護る。ここに1社を建立し、稲荷大明神を祀るべし』と言い、暁の雲に隠れた、という縁起が残されている。



作られたのが澤蔵司(たくぞうす)稲荷なのだが、別の由来では寝ている時に狐の尻尾が出ていたのをみつかり、姿を消したとも言われている。

このお寺、そもそも変わっていて正面から入ると石柱が2本、これを金属製の棒で繋いだ形になっていてまるで鳥居のように見える。さらに入っていくと本堂にも朱色の鳥居、神仏習合の跡が見受けられる。

秘仏として澤蔵司尊像、十一面観世音菩薩像が祀られており、前者は4月の例大祭で、後者も開創400年祭で開帳された。

また、境内には霊狐が棲む霊窟『おあな』さまがある。霊場らしい雰囲気を醸し出している。



伝通院から澤蔵司稲荷の途中、道の真ん中に生えているムクノキは御神木として信仰を今も集めている。この木を避けるように道が造られたのである。

もう一つ忘れてならないのが、澤蔵司尊者は門前にある蕎麦屋の蕎麦を好み、よく食べに通ったという言い伝えがある。狐だったらしく支払うお金に葉っぱが混じっていたとも。その蕎麦屋が今も伝通院前交差点のところで蕎麦を商っており、今でも初釜でお供えする朱塗りの箱に入った箱そばを普段から我々も食べることができるのである。もちろん、私もその蕎麦を食べに行くのである。(因みに寺のHPから『稲荷蕎麦萬盛』のHPにリンクが貼ってあるのも珍しい)



大して広くない境内を歩き、のんびりしていると境内の前に黒猫が1匹。人が来ても我関せず、寝たり、起き上がったり。この猫もこの寺は自分の土地と思っている模様、まさに都会の一等地に残されたオアシスである。






稲荷蕎麦 萬盛〜小石川ランチグルメ

2022-06-14 05:00:00 | グルメ
詳しくは『澤蔵司稲荷』の記事に書いたのだが、文京区春日にある伝通院門前に創業400年の蕎麦屋がある。元々は本当に門前にあったのだろうが、再開発でマンションの1階、ファミリーマートのお隣に狭い間口のお店はある。

店の名前は『稲荷蕎麦 萬盛』、創業400年と聞くとさぞやクラシックな店と想像するが、再開発しているため近代的なお店。



ただ、店内には古い営業許可証や澤蔵司稲荷の創建当時の擬宝珠、縁起などが店内に掲示されている。



12時に店に着いたのだが見える席は一杯、ようやく店の一番奥の4人掛けの席に相席させてもらう。

とにかく混んでいてお茶を持ってくる余裕もない。ようやくおしぼりとお茶を持ってきてもらい、箱そば(税込800円)を注文した。
周囲を見渡すと道路工事の人や周辺に勤めるサラリーマン、相席になった人もかなり待たされているが、普段からなのだろうか別に不満げな表情でもない。

15分ほどしてこの2人が頼んだミニ丼セットが登場、ミニ丼といいながらボリュームもあり、これで950円だから流行るのかと勝手に納得する。肝心の箱そばはちょうど30分待って運ばれてきた。

朱塗りの箱にはもりそば、その横に煮た油揚げ、蕎麦猪口と徳利がきちんと入る。蕎麦は細めの麺、たぶん二八蕎麦なのだろうか。茹でたて締めたてである。



蕎麦猪口にツユを入れてまずは一箸、喉越しの良い蕎麦、ツユも甘すぎず辛すぎずちょうど良い。ただ、ひとつだけ気になるのが、蕎麦がたっぷりあるため、少しツユの量が少ないが。

狐さまと同じお蕎麦を美味しくいただくことができました。ご馳走さまでした。



稲荷蕎麦 萬盛
文京区春日2ー24ー15
0338112763

谷中周辺の坂道③

2022-06-13 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その157。前回に引き続き谷中周辺の坂道を巡る。善光寺坂下のお煎餅屋さんを左に曲がる。本寿寺、瑞松院とお寺が並び、次の角を右に曲がると細長い坂道が現れるが、これが『三浦坂』。



説明板によると『三浦伊勢守下屋敷の前根津の方に下る坂あり』と御府内備考に書かれている。つまり、三浦氏の屋敷に下る坂のために三浦坂となったようである。また、坂の途中に『ねんねこ家』という古民家を用いた猫カフェがあった。



坂を降りて右の方に行くとやや広い通りと交差する。この坂道が『あかじ坂』、明治時代の財閥渡辺治左衛門の屋敷が坂上の石垣の所にあった。渡辺の本業は日本橋で乾物屋『明石屋』を営んでいたので『明石屋の治左衛門』から明治坂(あかじざか)が明治の頃に付いていた名前のようだ。

しかし、1927年3月14日帝国議会に於いて渡辺氏が営んでいた東京渡辺銀行・あかぢ貯蓄銀行が休業したという当時の片岡蔵相の失言(その時点では休業していなかった)から両銀行で取付騒ぎが発生、倒産してしまい周りの人が『あかじ坂』と読んだのである。この事件が昭和恐慌端緒となった。今も石垣の上に建つ古い日本家屋は残っていて風情があるが、坂の中程ではマンション建設も進んでいた。



坂上の道をさらに行くと2又に分かれ、左側に降りて行く道が『真島坂』となる。坂の名前は美作勝山藩が幕末に真島藩と改め、明治5年にこの一帯が谷中真島町となったことに由来する。



坂上の道をまっすぐ行くと少し広い通りにでる。交差する坂道が『三崎坂(さんさきさか)』。団子坂から反対に登る坂道で『三崎』とは『駒込・田端・田中』の3つの高台に因むと言われている。

左に曲がるが、この通りにもお寺が並んでいる。谷中小学校の先には千代紙で有名な『いせ辰』、お煎餅の『月見せんべい』などの老舗が残る。



坂を降りたあたりに『枇杷橋跡』の案内板がある。この坂の下には暗渠となった藍染川があり、交差点付近には枇杷橋があったのだが、1921年から暗渠工事が行われ、今の姿となった。