hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

谷中周辺の坂道③

2022-06-13 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その157。前回に引き続き谷中周辺の坂道を巡る。善光寺坂下のお煎餅屋さんを左に曲がる。本寿寺、瑞松院とお寺が並び、次の角を右に曲がると細長い坂道が現れるが、これが『三浦坂』。



説明板によると『三浦伊勢守下屋敷の前根津の方に下る坂あり』と御府内備考に書かれている。つまり、三浦氏の屋敷に下る坂のために三浦坂となったようである。また、坂の途中に『ねんねこ家』という古民家を用いた猫カフェがあった。



坂を降りて右の方に行くとやや広い通りと交差する。この坂道が『あかじ坂』、明治時代の財閥渡辺治左衛門の屋敷が坂上の石垣の所にあった。渡辺の本業は日本橋で乾物屋『明石屋』を営んでいたので『明石屋の治左衛門』から明治坂(あかじざか)が明治の頃に付いていた名前のようだ。

しかし、1927年3月14日帝国議会に於いて渡辺氏が営んでいた東京渡辺銀行・あかぢ貯蓄銀行が休業したという当時の片岡蔵相の失言(その時点では休業していなかった)から両銀行で取付騒ぎが発生、倒産してしまい周りの人が『あかじ坂』と読んだのである。この事件が昭和恐慌端緒となった。今も石垣の上に建つ古い日本家屋は残っていて風情があるが、坂の中程ではマンション建設も進んでいた。



坂上の道をさらに行くと2又に分かれ、左側に降りて行く道が『真島坂』となる。坂の名前は美作勝山藩が幕末に真島藩と改め、明治5年にこの一帯が谷中真島町となったことに由来する。



坂上の道をまっすぐ行くと少し広い通りにでる。交差する坂道が『三崎坂(さんさきさか)』。団子坂から反対に登る坂道で『三崎』とは『駒込・田端・田中』の3つの高台に因むと言われている。

左に曲がるが、この通りにもお寺が並んでいる。谷中小学校の先には千代紙で有名な『いせ辰』、お煎餅の『月見せんべい』などの老舗が残る。



坂を降りたあたりに『枇杷橋跡』の案内板がある。この坂の下には暗渠となった藍染川があり、交差点付近には枇杷橋があったのだが、1921年から暗渠工事が行われ、今の姿となった。