hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

三陸産の美味い牡蠣フライを食す〜人形町ランチグルメ

2024-12-21 05:00:00 | グルメ
いよいよ寒さも強くなり、冬の味覚が恋しくなる時期になった。冬の味覚といえば『鍋』、ふぐも蟹もキムチ鍋も美味い。それと並んで食べたくなるのが『牡蠣』である。牡蠣の土手鍋もいいが、牡蠣はフライで食べるのが好きだ。

今回は『そよいち』さんにお邪魔した。普段はビーフカツが看板メニューだが、11月になると限定10食の牡蠣フライがメニューを飾る。三陸産の大粒な牡蠣が4つ乗って1850円、多少高いが、季節物は食べないとと注文する。

以前にもこのブログで紹介したが、元は人形町駅前にある(店はあるが、休業中)『キラク』として1951年に長谷川外吉さんが開店した老舗。人形町には老舗の洋食屋がいくつもあるが、その一つであった。しかし、乗っ取りに遭い、従業員の一部が長谷川氏の娘さんと新たに作ったのが『そよいち』である。



カウンター15席だけのお店だが、揚げるのは1人、他にフロアに3名いてメインが出来上がるとテキパキとご飯や豚汁が出される。11時25分に店に着いたのだが、待っている人が2人、待合で座っている。注文は決まっているので告げて5分ほどで席が空く。



ちょうど中央席で調理がよく見える。まずは前のお客さんのカツカレーを作っていて、次は我々の牡蠣フライ。



我々の分を作ると後残りは3人分だった。目の前で手早く粉をはたき、パン粉を付けると大きな油たっぷりの揚げ鍋に投入。揚げ時間は短く、付け合わせの乗った皿に牡蠣フライを乗せて出してくれる。

揚げたてにウスターソースをかけてがぶり。大ぶりの牡蠣の身からスープが出て何とも美味い。衣の厚さも揚げ具合もちょうど良い。これがご飯によく合っていて箸でいただく洋食である。



気がつけばあと1粒、じっくり味わって頂きました。また来年も牡蠣フライを食べにきます。ご馳走さまでした。



そよいち
中央区日本橋人形町1ー9ー6
0336669993


『関東三十六不動尊巡り』⑱〜第23番札所 橋場不動院

2024-12-20 05:00:00 | 霊場巡り
『関東三十六不動尊巡り』⑱、飛不動尊に参拝したのち、第23番札所橋場不動院に向かう。電車で回る方法もあるが、地図で見ると1.8kmほど。天気もいいし、歩いていくことにした。

飛不動尊を出て右に曲がり、すぐの信号を左に向かう。住所は台東区千束→日本堤と変わっていくがほぼまっすぐに歩く。



気がつくと旧吉原地区、ソープランドの看板と黒服のお兄さん、もちろん呼び込みはしていないが、何となく気が引け通りでついつい早足になる。人通りは少ないが。





さらに行くと山谷らしき地区に入る。なぜ気づいたかというとビジネスホテルという簡易宿泊所、山谷伝導所という教会、職安の出張所、暇そうに地面に座る人々が揃っていたからである。

玉姫公園という小さな公園が玉姫神社の裏手にあるが、高い塀のお陰で中が見えなくなっている。中はホームレスの解放区らしい。



その先の団地を左に曲がり、明治通りに出て右に曲がる。白鬚橋の手前を右に曲がると少し奥まった所に橋場不動尊がある。正式には砂尾山橋場寺、天台宗のお寺で今は浅草寺の末寺となっている。



時が止まったような趣で神社の手前には大きなイチョウの木、12月に入ると黄葉が美しいとのこと。橋場不動院の由来は天平宝字4年(西暦760年)に良弁(ろうべん)僧正が相州大山寺で刻んだ一木三体の不動像を尊像として開創したもの。



本堂は江戸時代に橋場寺として作られたものだが、その後、この辺りを焼き尽くした明治の大火や関東大震災、戦災を経ても火災を免れたとして『霊験あらたかなる被伏の橋場不動院』として信仰の対象となった。

ご本尊の左には富貴弁天、右側には砂尾薬師、前には布袋尊が祀られている。この布袋尊は浅草七福神の一つなのだが、像をよく見ると肩の袋がなく、お腹が袋となっているのが面白い。

今年も暮れようとした中、1年少しで18ヶ所目を回り終え、残りはあと半分となった。ただ、残した札所は房総半島の先端や秩父、成田山、高尾山など遠いところも多く、あと2年はかかるだろうが、何とか無事に結願したいものである。




雷門満留賀〜浅草ランチグルメ

2024-12-19 05:00:00 | グルメ
お蕎麦屋さんの名前は『やぶ(薮)』『さらしな(更科)』『すなば(砂場)』などが有名だが、同じように『満留賀(まるか)』というのがある。その由来は1893年愛知県御津村から上京した加藤豊造に始まる。加藤は下谷区にあった三河屋そばで7年間修行したのち、1900年芝区宇田川町で三河屋という名前で蕎麦屋を開業。しかし、近くに同じ名前の店ができたことから安藤正純に相談、『満留賀』という名前をもらった。この店が繁盛して300軒近く暖簾分けしたものであると言われている。



ただ、雷門満留賀はそんな店の1軒なのかと思ったが、創業は1895年つまり、前述の加藤豊造より古いのである。

いずれが早いのかは分からないが、浅草観音通りのお店は間口が広いお店。12時少し前に店に入ったが、ここでもインバウンドの方々がメイン。先客は彼らが3組10人、日本人は1組2人のみ。私は4人席を1人で占領して鴨南蛮(1850円)を注文する。



先客のインバウンドの方々は8人が帰るもすぐに6人、4人と入ってきてとにかく外国人に人気がある。ラーメンからともかく、日本そばも人気があるようだ。

運ばれてきた鴨南蛮は鴨肉が5切れ、繊維に従って切ったネギは煮込まれ、さらに振りネギも付いてくる。店の人に『山椒はある』と聞くが、なかったので薬研堀を掛ける。

まずはツユから一口、鴨の脂が溶けだし、まったり。味はやや濃いめだが、気になるほどでもない。蕎麦は二八蕎麦、喉越しがいい。

関東では白ネギのため、太めの白髪ネギにするが、関西では青ネギのため、斜め切りが太宗。いずれもシャキシャキ感が甘さも楽しめ、これに小口切りにした振りネギを加えるのがいい。私はどちらかと言うと関西風が好みである。



鴨肉は厚みもちょうど良く、食べ応えがある。ネギと共に食べるのもいい。天ぷら蕎麦も好きだが、やはり冬は鴨南蛮を食べて温まるのが好きだ。老舗で外国語が飛び交う中、美味しく頂きました。ご馳走さまでした。



雷門満留賀
台東区浅草1ー1ー5
0338422020


干支の手拭いを買いに浅草へ

2024-12-18 05:00:00 | 日記
暮れの浅草に来年の干支の手拭いを買いに来た。浅草観音横にあるふじ屋さんに翌年の手拭いを買うのが恒例となっている。



都営地下鉄浅草駅下車、そこから雷門まで行き、仲見世通りを歩く。既によく分かっていることだが、とにかくインバウンド客と修学旅行生で溢れかえっている。

仲見世は以前お土産を売る店が大勢だったが、最近は食べながら歩けるいちご飴やメロンパン、吉備団子、カップに入ったソフトクリームなどを商う店が増えてきている。もちろん、昔からある雷おこし、人形焼、揚げまんじゅう、切山椒なども今もあるが。

仲見世は雷門近くは細く、徐々に広くなるのだが、伝法院通りと交差するあたりまでは混み合って動きが取れない。その先は流石に動きが取れるようになった。それにしても和服の若い女性を多いと思ったが、よく見ると殆どが中国人女性。レンタルの着物を着て歩くのが流行っているようだ。





宝蔵門には小舟町の大提灯、参道には3つの大提灯があるが、それぞれに特徴がある。裏に回ると仁王様の大きな草鞋が2つ、奉納しているのは山形県村山市、10年ごとに新しいものに取り替えられる。この草鞋は45mもある。この辺りからは左側に五重塔、前には本堂が見えてくる。



本堂手前にはお守りやおみくじを売る授与所が多く設けられているが、それぞれに参拝する人でいっぱい。特にインバウンドの方々にはおみくじは人気がある様子、ここのおみくじは凶や大凶が多いことは知っているのだろうか。



本殿の階段を登るが、入口に賽銭箱が置いてあるため、ここで賽銭を投げ、中に入らず帰る人が多い。せっかくならば中に入り、観音様に手を合わせた方がいいのだが。それでも知らないことは色々、例えば本堂の天井には立派な絵が描かれていた。何度も足を運んでいながら初めてじっくりと見たのである。私も参拝をするが、何と柏手を打つ人が多いことか。ここはお寺であり、神社ではない。





無事参拝をして本堂を後に左にある二尊仏の方に行く。二尊仏は1687年に上野国館林大久保村の高瀬善兵衞という人が願主になり勢至菩薩と観音菩薩を造立したもので濡れ仏と言われている。



その先を右に曲がると『ふじ屋』さんが出てくる。手染め手拭いの老舗で毎年末に翌年の干支に因んだ新柄を2枚作る。来年は乙巳(きのとみ)のため、蛇の図柄かと思ったが、横の手拭いは江戸の街に巳と書いた凧が上がったデザイン。(赤で囲んだもの)
縦型は和服の人が巳巳巳と書かれた扇を持った図案となっている。悩んだ挙句、横型を購入した。店の人に『干支の手拭いには蛇が描かれているかと思っていたけど、両方とも字で巳と書いたのですね』と聞くと『蛇は縁起がいいとはいいますが、絵柄にするとやはり気持ちが悪いのでこうなったみたいですよ』と教えてくれた。



初めてこの手拭いを買ったのが未年(前々回)なので22年も前のこと、光陰矢の如しである。


RYUS Noodle Bar〜人形町ランチグルメ

2024-12-17 05:00:00 | グルメ
人形町に多いのはラーメン屋、その中でも四川料理や担々麺専門店である。その一方で閉店する店も多く、その後にまたラーメン屋さんが居抜きで入るケースも多い。半年ほど前に取り上げた『柊』という店が閉店、その後に旭川ラーメンの『すがわら』が移転してきた。そのお隣もラーメン屋さんだったが、こちらも改装工事中。

そんな中、変わり種のお店がまた近くにできた。パワースポットで有名な小網神社からも程近い。


名前は『RYUS Noodle Bar』、少し聞きなれない名前だが、店の入口のポスターを見ると『2013年カナダ・トロントで創業、2018年〜21年に新横浜ラーメン博物館出店、その後、同博物館にイベント出店していた』というお店が11月に人形町に日本初の路面店を出した。味は今は塩ラーメン(900円)のみ、今後は味噌ラーメンや醤油ラーメンを順次出していくらしい。



鶏白湯の塩ラーメンがあるならいいかと入店、11時40分で先客は2人のみ。ハイカウンターが新しい店であることを物語っている。食券を購入、カウンターに置いて待つ。特にトッピングは行わないが、有料の味変調味料として『特製メープルバター』『白トリュフオイル』もある。

5、6分でラーメン到着。すると丼以外に塩麹レモンをレンゲに乗せて、味変として少しずつ使うことを慫慂された。

麺の他には鶏のチャーシューが2種類、ムネはさっぱり、モモは低音調理されていて味もしっかりついてかなりレベルが高い。さらにミニトマトが乗っているが、これもメープルに漬けてありやや甘く、店主のこだわりを感じる。ツユの中には青ネギ、刻み玉ねぎ、下の方にはメンマ、白舞茸(だろうと思う)が忍ばせてあり、このあたりもかなり凝っている。

たっぷり黒胡椒を挽いて麺から頂く。細麺のストレートでツルツルしていて喉越しがいい。よく白湯スープに絡む。
スープは滋味溢れるこってりした鶏白湯。ただ少しだけざらつきがあるように舌に感じられたのが気になった。さらに塩麹レモンを入れると途端に爽やかに。味変の元はなかなかやる。

食べ始める頃には店の噂を聞きつけてきたのか、あまり天気も良くない日なのに急に店が混み始め、あっという間に外に列。カナダ発の逆輸入ラーメンは珍しいが、わざわざ待つほどの味なのか、と思った。

ただ、まだ開店から僅かしか経っておらず、名店になって二度と来れないような繁盛店になるのかも知れない。ご馳走さまでした。

RYU Nuoodle Bar
中央区日本橋蛎殻町1ー9ー5


上野駅界隈の坂道②〜清水(きよみず)坂の上野大仏

2024-12-16 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その226。上野駅界隈の坂道②、エレベーターで上野公園に入ると正面に清水観音堂。



上野寛永寺は天海が開山した徳川家の菩提寺であり、当時の年号を取り、寺の名前とした。面白いことに京都を模して作られ、不忍池が琵琶湖、弁天堂が竹生島、清水観音堂は清水寺、根本中堂は比叡山延暦寺などよくできている。清水寺の様に舞台造となっていて初めはすぐ近くの摺鉢山の上に作られたのだが、根本中堂建設にあたり、1694年に移築された。

ご本尊は千手観世音菩薩像で恵信僧都源信作と伝わる。

また、舞台の前には月の形をした松が設えてあり、願い玉を投げてこの輪の中を通ると願いが叶うと江戸時代から伝わっている。歌川広重作の江戸名所百景にもこの松は描かれている。



横の石段が『清水坂(きよみずさか)』、近くに清水坂(しみずさか・都立上野高校横)もあるから間違えやすい。

階段を降りて見上げると舞台造りがよくわかる。周りを見渡すと外国人観光客ばかり、日本とは思えないほど。 

そのまま階段を降りて不忍池の方に向かう。こちらは露店も並び観光地ムード。八角形の弁天堂があり、まわりにはたくさんの慰霊碑や石碑が並んでいる。





一つずつ見て回ると『ふぐ塚』『鳥塚』『包丁塚』ほかにもたくさんある。もう蓮の葉も枯れて夏とはまた違った趣がある。弁天堂にお祈りして左に曲がる。





少し行くと右に上り坂が分かれるが、これが『忍坂』。五條天神社の参道ともなっている。秋のやや斜めになった日差しの中を歩くが、振り返ると眩しい。左側に時の鐘、芭蕉の名句『花の雲鐘は上野か浅草か』の鐘である。




さらに行くと左側に花園稲荷がでてくる。京都の稲荷大社同様、たくさんの鳥居がならんでいるが、鳥居をくぐり出てきた急な石段が『稲荷坂』である。





近くの『韻松亭』にはたくさんの外国人が詰めかけ、さらに上野精養軒の入口もある。パゴダの横には上野大仏。元は6mの釈迦如来坐像だったが、関東大震災で被害を受け、仏頭が落ちてしまった。



さらに再建に備えて寛永寺で頭と胴体は保管されていたが、戦時中の金属供出のため、顔面を除き持ち去られた。しかし、現代になり、受験生が『これ以上落ちない』と合格祈願をするために参拝する様になり、人気が復活している。



上野公園にきたら『西郷隆盛像』に行かねばと足を伸ばす。背景のイチョウが黄色く色づき、美しかった。こちらも周りにはインバウンドの人ばかり。敬天愛人を知る人は何人いるのであろうか。



お隣の『彰義隊の墓』にもお参りし、帰途についた。


どさんこ酒場 森町しげぞう〜八重洲ランチグルメ

2024-12-15 05:00:00 | グルメ
日本橋でランチ、ただ、クリニックが混んでいた為、12時10分くらいになってしまった。立喰蕎麦は小諸そばを含めて何軒もあるが、長蛇の列。コロナ後は店が減ったのか、どこも混雑している。



ふと思い出したのが、『八重中ダイニング』のB2。確か韓国料理と北海道居酒屋があり、どちらも大きかったことを思い出す。地下へ行くエレベーターに乗るとまだ列はない。手近な『森町しげぞう』というお店、北海道道南の森町公認居酒屋に入る。森町と言えば駅弁の王様『森のいかめし』で有名な漁港を有する町である。

ランチメニューは鶏ザンギ、煮込みハンバーグ、ミックスフライ、焼き鳥丼、ベーコンエッグと肉系のメニューが大多数、名物のはずのイカは全くない。北海道ならというところで『エスカロップ定食』(1100円)を注文する。



このお店はご飯や味噌汁は好きなだけ取ってくる旅館の朝食バイキングのようなシステムで他にもカレールー、生卵、納豆、漬物などは取り放題となっている。まずはそちらのコーナーに行き、ご飯、味噌汁、漬物をつけてトレイに乗せて席に着く。

するとちょうど料理が出来上がってこれを合体させ食べるのである。バイキングだから2杯目のご飯にカレーを掛けるのもありなのかも。ただ、カウンターのお隣は女性1人ばかり。さすがに大盛ご飯はいなかった。



出てきたエスカロップはタレカツ丼に乗っているカツのようでドミグラスソースは少し掛かっているのみ。ただ、下には刻みキャベツが敷かれ、熱々の鉄板のため、なかなか冷えない。



豚肉はなかなか厚みがあり、カリッと揚げてある。食感はいいが、味はウスターソースとあまり変わらない味であった。人形町で頂いたエスカロップのほうが本格的、まあエスカロップは釧路名物、森町は道南だからしょうがないかなあ。

見ていると一番人気はザンギのようである。厨房は分業制でフライやザンギを揚げつづける人、ずっーと生姜焼きを作る人、魚を焼き続ける人と見ていても面白い。ザンギがたくさん注文を受けると慌てて追加の唐揚げを揚げるのである。

とにかくこの店は満腹になるので大食漢とくるにはもってこいの店である。ご馳走さまでした。

とさんこ酒場森町しげぞう
中央区八重洲1ー4ー16八重中ダイニングB2
05054561863


『干支』『方角』を調べる〜艮、乾、坤、巽を読めますか

2024-12-14 05:00:00 | 日記
『改めて日本語を考える』その51。毎年一度だけ、年賀状を書く段になると干支のことを思い出す。簡単に言うと十干(じゅっかん、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)と十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)を組み合わせたもので、その順番は『甲子(きのえね)』からスタート、次は『乙丑(きのと)』『丙寅(ひのえとら)』『丁卯(ひのとうさぎ)』と繋がって60通りが終わって一回り、これが還暦である。

このルールは『木、火、土、金、水』の『き、ひ、つ、か、み』にそれぞれ『兄(え)』『弟(と)』をくみあわせて『きのえ』『きのと』『ひのえ』『ひのと』『つちのえ』『つちのと』『かのえ』『かのと』『みずのえ』『みずのと』と呼ぶ。

さらにその下に十二支をつけて干支となる。2025年は『乙巳』だから『きのとみ』となるのである。

十二支は日本では方角も表す。北から『子丑寅卯辰巳・・・』と続いていって30度ずつずれていく。このため、90度ずれると『卯』が東、『午』が南、『酉』が西を表す。

南北に伸びる線を子午線とよぶのである。では北東はというと『丑寅』(うしとら)の方角というのだが、これを1字で表すと『艮』。良という字の点を取ったような時である。

(有楽町線辰巳駅)

(大阪市営地下鉄千日前線北巽駅)

同じように南東は『辰巳』で一字では『巽』、南西は『未申』で一字では『坤』、北東は『戌亥』で一字では『乾』となる。

例えばここから出た言葉が『乾坤一擲』、意味は『大勝負をすること、一か八か、』などとなる。出自は中国唐代の韓愈という詩人が詠んだ『鴻溝を過ぐ』という詩の中で項羽と劉邦の戦いが休戦となった。そして両軍が東西に分かれた時に劉邦が急にUターンして項羽を攻撃したことを『誰が君主に馬首を回らすを勧めて真に一擲乾坤を賭するをなせる』と詠んだのが始まりと言われている。
色々な地名や戦いの名前などにもよく使われるので覚えておくと役に立つこともある。下の喜撰法師の歌も自らの庵が京都の南東である宇治市にあった、その為私のことを宇治山と呼んでいるという意味がわかるのである。

(例えば壬申の乱、戊辰戦争、庚午年籍、辛亥革命、甲子園球場など)


かぐら坂 新富寿司で一献〜神楽坂グルメ

2024-12-13 05:00:00 | グルメ
今日は40年来の友人Aくんの馴染みのお寿司屋さんにお邪魔した。場所は神楽坂、神楽坂通りを歩き、善国寺の反対側に。先の路地を左に曲がったあたりにある。お店の名前は『かぐら坂 新富寿司』という。

店に入るとカウンター、後ろにいくつか席もある。ちょうどAくんとは店の近くで出会い、迷うことなく入店できた。カウンターの一番奥に陣取り、飲み始める。初見の店のため注文はAくんに任せた。

まずはビールで乾杯、モルツは美味い。刺身の盛り合わせからスタート。お皿に右から酢締めのイワシ、生だこ、イカ、赤貝、中トロ、赤身、ニシンの酢締め、カワハギの肝乗せとバラエティに富む。

まずはイワシから頂くが軽く酢に浸してあり、微妙な塩梅が嬉しい。ツマの大根も酢で締めてあり、細かいところまで手が込んで、もちろんネタは新鮮。

すぐにお酒を注文。まだ寒くもないが、燗を付けてもらう。土佐鶴(高知県)は辛口、刺身によく合う。

白子のバター焼き。バターで焼いて甘辛に詰めてある。淡白になりがちな白子もしっかり味が入っていた。


サワラの幽庵焼、穴子の白焼と続く。いずれも酒が進んで止まらない。Aくんの入れている角瓶をハイボールで割ってもらい、チャンポンで飲む。



イカのわた焼き、鰹の酒盗、茄子焼きなどをお願いする。酒盗は細かく切ったクリームチーズが敷いてあるのがにくい。



腹がいっぱいになる前に寿司を食べねばとお好みで注文。酢締めが旨いことからまずは小肌、具合がいい。



イワシ、マグロの中落ち、カワハギ、タコ、アジと続けて頂く。





鉄火巻、干瓢巻で締めるが、3代目店主の握りはシャリの固さが抜群。ほろっと口の中で解ける感覚がいい。





もう、お腹いっぱい。それにしても酒が弱くなってきたことを嘆くばかりであった。
最後に味噌汁を頂き、お開きとした。

店には英語、フランス語を話せるスタッフもおり、ホテルからもお客さんがやってくるほど。歴史はあるが、アットホームないい店であった、ご馳走さまでした。
かぐら坂 新富寿司
新宿区神楽坂4ー4ー17
05055922522

『関東三十六不動巡り⑰〜第24番札所飛不動尊

2024-12-12 05:00:00 | 霊場巡り
『関東三十六不動尊巡り』⑰、今回は第24番札所飛不動尊を訪れた。正式名称は龍光山三高寺正寳院という。東京メトロ日比谷線三ノ輪駅から歩くのだが、三ノ輪駅1a出口から降りて左に曲がり、少し先の東泉小学校を右折、そのまままっすぐ行くと左手に出てくる。




下町は道路がフラットに加え、まっすぐで実にわかりやすい。さらに信号には『飛不動尊前』があり、そのすぐ先である。



間口の狭いお寺で左右に提灯と赤い幟がたくさん並んでいて奥に本堂がある。お隣は学習塾、まわりも住宅地となっている。

飛不動尊とは独特なネーミングであるが、由緒は1530年に修験道本山派により開かれた修験道場である。また、本尊は飛不動尊だが、これは住職が大峰山で修行するため不在にしていた時、不動明王に人々が熱心に祈っていると一夜にして大峰山から飛び帰り、祈った人の願いを叶えたという逸話が残されている。このため、飛んでやってきた不動明王から飛不動と呼ばれて親しまれている。なお、飛不動という名前は1600年頃から使われていた。



提灯の並ぶ短い参道を歩くと正面に本堂があり、手を合わせるが、その奥に不動立像の姿を見ることができる。





左横には恵比寿堂、これは下谷七福神の一つであり、お正月などに七福神巡りをする善男善女に大変な人気がある。

御影と御朱印を頂くために納経所にいくが、こちらにはお守りが多く並べられている。特徴的なのは『飛』から飛行機での道中守りとしてご利益があるとパイロットやCAたちから篤く信仰されている。

面白いエピソードとしては2011年小惑星探査機はやぶさの通信が途絶えた時にプロジェクトリーダー川口淳一郎氏は飛不動を参拝し、お祓いを受けると46日ぶりにはやぶさからの電波を受信、さらに途中でエンジンの寿命が来て止まりかけたが、奇跡的に動き、無事に地球へ帰還したのである。

最先端の科学者もすがる飛不動さまの霊験があらたかになったものである。