outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

危険察知能力

2010年08月16日 19時33分36秒 | 退職生活
「待てば海路の日和あり」とは、僕の人生の中でも特に大切にしてきた考えです

殆どの失敗は「待てない」から起きてしまい、時には命を落とす事さえあります

にも関わらず、多くの人達は待とうともせず、ここ数日、台風が来ていても山に登り、雨が降っていても、ガスに覆われていても迷う風も無く山に登っています

そんな中で一台だけ、目立つバスが動きもせず停まっているから、日本人にすれば不思議なんでしょう。

「山に登り来ているのでは無い」と判断している人が居るのが、僕としては不思議です

ヨットで世界を周っていた頃、天気が悪いと殆どの人達は何日でも天気が安定するのを待ってから出港します

向かい風や、高い波、強い風で苦しい思いをするのが解っていて出港するのは、馬鹿げています。

台風や雨の中を3千メートルもの山に登るのは馬鹿げています

もしも脚を挫いたとしても、救助さえ出来ない状態なのにです。

天気予報を見ても「計画を変える事が出来なかった」人達がここへ来たのでしょうが、その柔軟性の無い頭で生きてこられたのは日本が何処か間違っているからでしょう

一つ先の事が考えらない人が殆どで、それが「当たり前」になってしまっています。

「命を守る」のは先ず予防であり、危険を察知する能力を磨かなければなりません

そんな予防をしていても、気の緩みや、ちょっとしたミスから事故は起きますが、自然の力は抗し難いものです。

どんな権力も勲章もお金も、荒れる自然を前には役に立ちません

堅牢な家が出来、エアコンで快適な温度が作れた事で、自然を思い通りにできると勘違いしているように思います。

雨を止める事も、降らせることも出来ない人間が思い上がって判断が狂ってしまったのではないかと心配します

確かに「折角の休み」と言うのは解りますが「計画を変える」勇気と柔軟さを持って欲しいと感じました。

また、自分の命も大事に考えられない人達が、人の命を大事に考えられるのかも疑問です

そんな事を思いながら、今日も四時に起きて雲写真やレーダーを見て、視界が無いと判断、中止しました

視界が無いと言う事は、視界が愉しめないだけでなく、救助も困難にします。救助が必要になる確率は極僅かですが、そんな時に登る必要があるかどうかです。

さすがに今日は「お盆休み」が終ったのか登山者も減って、駐車場の空きも目だっています。

そんな中で不思議そうに見られながら、本(胡蝶の夢)を読んで過ごしました

「神の様になった時」の事を書こうと思ったんですが、長く書くと「宗教」と言われるので短く書きます

この「神の様になった時」はフィリピンのバイス湾で初めに美由紀がなったんですが・・・

自分で「なんかおかしい・・・」と言いはじめて

それから数ヶ月の間、僕が見ても神の状態が続きました

僕も「あれれ・・・」と言う感じで、なったような、ならないような・・・でも今までに味わった事が無い、全ての物が愛しく、自分もこれ以上の幸せは無いと思えるくらい幸せでした

美由紀に聞くと全く同じ感想だったから・・・

真に人が求めなければならないものは、これでは?と思ったものです

解りにくいと思いますが、そんな気持ちが世の中に存在する事だけでも、知っていて欲しいと思って書きました

待ちに待ちましたが、明日はどうやら天気が良さそうなので登ってきます

今日の写真は山伏岳から見た富士山です。

何処から見ても富士山は立派ですね

僕が今までに見た富士山で一番と思うのは愛鷹山からでしたが・・・機会があれば是非登って見てください。

写真をクリックすると大きく見えます

















コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする