振り返ってみれば、インドに入国してから「バラナシ」を出た後の僕は「食べ物が合わない」といつも悩んでいます
今回の旅は、僕にとっては最初から「食の辛抱」が課題でした。
それは・・・日本でホテルや旅館だけを使って北海道へ一ヶ月ほどの旅をした時も、途中から耐えられなくなった事があったし、ヨットで世界を周っていた頃、ヨットを預けて内陸に旅行していた時も・・・
アフリカや中南米の短い所では一週間が限界だったり、比較的食が合う所でも一ヶ月余りが最長でした
だから・・・今回はネパール、インドで五ヶ月の予定だったから、充分に気合を入れての出発でした
それが・・・70日居たネパールではトレッキングの楽しさと、無理なくそこそこ口に合う「チベット料理」
カトマンズとポカラにある安い「日本食レストラン」
これを組合すことで20種ほどの料理が食べられて・・・不思議に苦労知らずでした
インドに入るまで、ネパールでも味が合わない場所を移動しましたが・・・バラナシに来てからは20日居ましたが・・・
しゃん亭の味噌味メニュー、久しぶりの豚肉料理、キムチー等に救われて・・・余り不満を感じなかったんですが・・・
種類の少なさから・・・限界が近づいていたのかも知れません。
アグラーでは食中毒発生もあり全く駄目
デリーに来て、少し日本食紛いはあるものの・・・品数が少ない
果物(バナナ、パパイヤ、ぶどう、ぽんかん)を多量に食べて・・・誤魔化しているけど・・・
ジョードプルやジャイサルメール、クーリーでの僕は「生きるために喰う」といった感じでした
こうなると・・・面白いものも面白く感じることが出来ず、やたらに「腹が立つ」んです
多くの日本人は・・・一ヶ月以上の旅を続けた事が無いから・・・
外食や旅館やホテルが準備してくれる食事で大丈夫と思ってるかも知れませんが・・・
それは短期の場合だけなんです。
実際に一ヶ月以上の旅を続けてしてみると、それがいかに難しい事か解ると思います
今まで僕がしてきた長い旅はヨットとキャンピングカーでした
いつでもどこでも、自分の口に合う味噌汁があり、刺身や焼き魚が食べられました
今回、気合を入れていたし、今後の計画もあるから・・・僕としては随分頑張ったんですが・・・遂にギブアップです。
そしてこのギブアップは・・・今後の僕の人生計画に影響を及ぼすギブアップでもあります
話は変わって・・・
美由紀は薬で熱は下がったけれど、インドの薬は強力で、体温が35度まで下がりすぎ、痺れが出たり、冷や汗が出たり気分が悪くなったりで・・・薬を二回でやめて・・・一日、今日の昼から少し正常に戻りつつあります
ところが・・・今度は僕に少し熱が出てきて・・・厚着してるんですが・・・のどが少し痛い
何とか頑張って28日には買ってる切符でアウランガーバードまで行かなければ
今日の写真は「ブルーシティ」とも呼ばれるジョードプルです。
ジョードプルは街から見上げる岩山の上に要塞に囲まれたお城があって、昔はマハラジャが住んでいました。
マハラジャは強大な権力を持っていて・・・数百人とか人によっては千人を超える女を囲い、羨ましい事にハーレム生活を送っていたんです。
最初の写真は、僕らが泊まっていた部屋から見あげたお城です。
これは僕らが泊まっていたホテル(500Rs)の部屋で・・・このホテルでは全ての壁にマハラジャの生活の様子が描かれた絵が飾られていました。
ホテル街の目印ともなる時計搭
これはお城の中の・・・多分ここでマハラジャは次々と女を呼んで・・・
城塞から街を見下ろすと、ブルーシティと呼ばれる理由が良くわかります。
城塞から少し下った池の傍に「お墓」の建物がありました。池には沢山の水鳥がいました。
今回の旅は、僕にとっては最初から「食の辛抱」が課題でした。
それは・・・日本でホテルや旅館だけを使って北海道へ一ヶ月ほどの旅をした時も、途中から耐えられなくなった事があったし、ヨットで世界を周っていた頃、ヨットを預けて内陸に旅行していた時も・・・
アフリカや中南米の短い所では一週間が限界だったり、比較的食が合う所でも一ヶ月余りが最長でした
だから・・・今回はネパール、インドで五ヶ月の予定だったから、充分に気合を入れての出発でした
それが・・・70日居たネパールではトレッキングの楽しさと、無理なくそこそこ口に合う「チベット料理」
カトマンズとポカラにある安い「日本食レストラン」
これを組合すことで20種ほどの料理が食べられて・・・不思議に苦労知らずでした
インドに入るまで、ネパールでも味が合わない場所を移動しましたが・・・バラナシに来てからは20日居ましたが・・・
しゃん亭の味噌味メニュー、久しぶりの豚肉料理、キムチー等に救われて・・・余り不満を感じなかったんですが・・・
種類の少なさから・・・限界が近づいていたのかも知れません。
アグラーでは食中毒発生もあり全く駄目
デリーに来て、少し日本食紛いはあるものの・・・品数が少ない
果物(バナナ、パパイヤ、ぶどう、ぽんかん)を多量に食べて・・・誤魔化しているけど・・・
ジョードプルやジャイサルメール、クーリーでの僕は「生きるために喰う」といった感じでした
こうなると・・・面白いものも面白く感じることが出来ず、やたらに「腹が立つ」んです
多くの日本人は・・・一ヶ月以上の旅を続けた事が無いから・・・
外食や旅館やホテルが準備してくれる食事で大丈夫と思ってるかも知れませんが・・・
それは短期の場合だけなんです。
実際に一ヶ月以上の旅を続けてしてみると、それがいかに難しい事か解ると思います
今まで僕がしてきた長い旅はヨットとキャンピングカーでした
いつでもどこでも、自分の口に合う味噌汁があり、刺身や焼き魚が食べられました
今回、気合を入れていたし、今後の計画もあるから・・・僕としては随分頑張ったんですが・・・遂にギブアップです。
そしてこのギブアップは・・・今後の僕の人生計画に影響を及ぼすギブアップでもあります
話は変わって・・・
美由紀は薬で熱は下がったけれど、インドの薬は強力で、体温が35度まで下がりすぎ、痺れが出たり、冷や汗が出たり気分が悪くなったりで・・・薬を二回でやめて・・・一日、今日の昼から少し正常に戻りつつあります
ところが・・・今度は僕に少し熱が出てきて・・・厚着してるんですが・・・のどが少し痛い
何とか頑張って28日には買ってる切符でアウランガーバードまで行かなければ
今日の写真は「ブルーシティ」とも呼ばれるジョードプルです。
ジョードプルは街から見上げる岩山の上に要塞に囲まれたお城があって、昔はマハラジャが住んでいました。
マハラジャは強大な権力を持っていて・・・数百人とか人によっては千人を超える女を囲い、羨ましい事にハーレム生活を送っていたんです。
最初の写真は、僕らが泊まっていた部屋から見あげたお城です。
これは僕らが泊まっていたホテル(500Rs)の部屋で・・・このホテルでは全ての壁にマハラジャの生活の様子が描かれた絵が飾られていました。
ホテル街の目印ともなる時計搭
これはお城の中の・・・多分ここでマハラジャは次々と女を呼んで・・・
城塞から街を見下ろすと、ブルーシティと呼ばれる理由が良くわかります。
城塞から少し下った池の傍に「お墓」の建物がありました。池には沢山の水鳥がいました。