「定年延長」について書いたら、一挙に通常より200人ほども多くの方のアクセスがあったので、「若い人達に席を譲る」事に興味を持ってる人が多いと勝手に解釈して、今日のタイトルについて書くことにしました
アウトドアの遊びブログなんですが、このブログは「60歳になったら若い人達に席を譲って社会の為に遊ぼうよ」と言うのが「根っこ」にあるブログで、遊ぶ為の参考になればと思って書いてる部分が多くあります。
そんな中で60歳を過ぎて、若い人達が払う年金を当然の如く受け取りながら、若い人達の多くが仕事が無くて困ってるのに「年金を貰ってるから出来るような小商売」をして、それで結婚し、子育てして食べていかなければならない人達の邪魔をしたり、天下って税金を殆ど泥棒の如くかすめ取ったり、年金があるから「幾らでもいい」と労働力として参入し続ける人が結構おります
そんな人達を見てると、お金は充分にあって「特にお金が必要ではありません」
だから「お金の為に働いてるのでは無い」と言えば「その通り」です
ただ「お金を呉れないと働きません」から、お金に対する欲は深いです。
そして社会の事、将来の日本や世界の事を考えている人は居ません。
人間の欲の中に、意外に根強い欲ながら、余り意識していない欲に「重要人物だと思いたい」と言うのがあります
この欲は「重要人物でない人」ほど、そうでありたいと思うものだそうで、殆どの人が心の底では「辞めて欲しい」と思ってるのに、お世辞に少し引き止める言葉を誰かが言うと・・・「辞めさせてくれない」などと言って居座っています
実際「重要人物」等と言うのは、この世に存在しないので、その証拠に誰が死んでも会社は営業を続けてるし、日本も世界も休まず変化を続けています。
自分が居なかったら「会社がつぶれる」と言ってる人は多いですが、その人が死んで潰れる事は殆どありません。
ただし、その働いてる人が死ぬと、喜ぶ人がいる場合も結構ありますから、その人たちにとれば「死ぬことが重要」だったのかも知れませんが・・・
話は戻りますが「重要人物でありたい」と思う中に「世間から忘れられたくない」と言うのもあります
また「必要な人間だと思いたい」というのもあります。(世間で本当に多くの人が必要としてるのは、お金を使って遊ぶ人で、働く人や貯める年寄りは要らない)
そんな人は「多くの人と繋がっていたい」と思うんですが・・・
普通は遊ぶ事で世間の人達と繋がるべきなんですが、遊んでる人が意外に少ない
自分から遊びを作る事も出来ず・・・お金を使う事が好きでない。
そして・・・僅かでもお金が入ってきて、世間の人達と接触できる「労働力として参入」してしまうようです。
ただ前にも書きましたが、僕は「どんな人もいつか死ぬように、どんな会社もいつか潰れる」と思ってる人です
それだけでなく「代償を貰って働くことは恥ずかしい行為」だとも思ってます。
代償を貰うために、簡単に言えば「自分を抑える?いつも良い心で居られない」必要があるからなんですが・・・
しかし人は生きなければなりませんし、子孫を残さなければなりませんから、恥ずかしく卑しい行為であっても、しなければなりません。
若い人達は苦しくても頑張ってやってください。
しかし計画的に、大したトラブルも無く生きて来れた人達は、60歳になるとそんな事をしなくても、社会の為にお金を使って、愉しく遊んで暮らせるはずです
若者達を喰らうような人生を生きるのでなく、皆がそのようにすれば、若者達が育って行く姿を眺めながら生きれるんです。
それが「我々の役目」だと思ってるんですが、どう思いますか??
人の一生は僅か100年足らずでしかありません。
せめて最後の30年ほど(遅くても60歳を過ぎたら)は、代償(お金)を求めない生き方をしましょうよ
さて今日の僕は、昨日のダイビング用品の後始末。
我が家の女王陛下は、準備も後始末もしませんから、召使のような僕がすべてを水洗いから乾燥、バック詰めまで
借りていたスキューバタンクを戻しに行ったついでに、漁船「津乃峰丸」へ行って、仕上がった運転席のテントを取り付けてきました。
そしてプロペラを睨んで・・・考えました
実はこの漁船、スピードが出ないんです
そして・・・明日、潜ってプロペラを外して、早く走るように自分でピッチを変えてみようと思います
アウトドアの遊びブログなんですが、このブログは「60歳になったら若い人達に席を譲って社会の為に遊ぼうよ」と言うのが「根っこ」にあるブログで、遊ぶ為の参考になればと思って書いてる部分が多くあります。
そんな中で60歳を過ぎて、若い人達が払う年金を当然の如く受け取りながら、若い人達の多くが仕事が無くて困ってるのに「年金を貰ってるから出来るような小商売」をして、それで結婚し、子育てして食べていかなければならない人達の邪魔をしたり、天下って税金を殆ど泥棒の如くかすめ取ったり、年金があるから「幾らでもいい」と労働力として参入し続ける人が結構おります
そんな人達を見てると、お金は充分にあって「特にお金が必要ではありません」
だから「お金の為に働いてるのでは無い」と言えば「その通り」です
ただ「お金を呉れないと働きません」から、お金に対する欲は深いです。
そして社会の事、将来の日本や世界の事を考えている人は居ません。
人間の欲の中に、意外に根強い欲ながら、余り意識していない欲に「重要人物だと思いたい」と言うのがあります
この欲は「重要人物でない人」ほど、そうでありたいと思うものだそうで、殆どの人が心の底では「辞めて欲しい」と思ってるのに、お世辞に少し引き止める言葉を誰かが言うと・・・「辞めさせてくれない」などと言って居座っています
実際「重要人物」等と言うのは、この世に存在しないので、その証拠に誰が死んでも会社は営業を続けてるし、日本も世界も休まず変化を続けています。
自分が居なかったら「会社がつぶれる」と言ってる人は多いですが、その人が死んで潰れる事は殆どありません。
ただし、その働いてる人が死ぬと、喜ぶ人がいる場合も結構ありますから、その人たちにとれば「死ぬことが重要」だったのかも知れませんが・・・
話は戻りますが「重要人物でありたい」と思う中に「世間から忘れられたくない」と言うのもあります
また「必要な人間だと思いたい」というのもあります。(世間で本当に多くの人が必要としてるのは、お金を使って遊ぶ人で、働く人や貯める年寄りは要らない)
そんな人は「多くの人と繋がっていたい」と思うんですが・・・
普通は遊ぶ事で世間の人達と繋がるべきなんですが、遊んでる人が意外に少ない
自分から遊びを作る事も出来ず・・・お金を使う事が好きでない。
そして・・・僅かでもお金が入ってきて、世間の人達と接触できる「労働力として参入」してしまうようです。
ただ前にも書きましたが、僕は「どんな人もいつか死ぬように、どんな会社もいつか潰れる」と思ってる人です
それだけでなく「代償を貰って働くことは恥ずかしい行為」だとも思ってます。
代償を貰うために、簡単に言えば「自分を抑える?いつも良い心で居られない」必要があるからなんですが・・・
しかし人は生きなければなりませんし、子孫を残さなければなりませんから、恥ずかしく卑しい行為であっても、しなければなりません。
若い人達は苦しくても頑張ってやってください。
しかし計画的に、大したトラブルも無く生きて来れた人達は、60歳になるとそんな事をしなくても、社会の為にお金を使って、愉しく遊んで暮らせるはずです
若者達を喰らうような人生を生きるのでなく、皆がそのようにすれば、若者達が育って行く姿を眺めながら生きれるんです。
それが「我々の役目」だと思ってるんですが、どう思いますか??
人の一生は僅か100年足らずでしかありません。
せめて最後の30年ほど(遅くても60歳を過ぎたら)は、代償(お金)を求めない生き方をしましょうよ
さて今日の僕は、昨日のダイビング用品の後始末。
我が家の女王陛下は、準備も後始末もしませんから、召使のような僕がすべてを水洗いから乾燥、バック詰めまで
借りていたスキューバタンクを戻しに行ったついでに、漁船「津乃峰丸」へ行って、仕上がった運転席のテントを取り付けてきました。
そしてプロペラを睨んで・・・考えました
実はこの漁船、スピードが出ないんです
そして・・・明日、潜ってプロペラを外して、早く走るように自分でピッチを変えてみようと思います