フィリピンは常夏の国ですから日本では寒くてもこちらでは殆ど裸でも過ごせます。
とは言っても昼と夜の気温差は結構あって昼間はじっとしていても汗が流れますが夜は何か被らないと震えます。
そんなフィリピンで私達は長くヨットで生活しました。
私達のヨット ホロホロ三世でマレーシアのボルネオ島からフィリピン入ったのは1999年でしたからもう23年も前です。
それまでにも
1970年代と1980年代に来てますから縁がある国と言えます。
そんなフィリピンの1970年後半でしたが一般的な人達の暮らしぶりは学校で習った原始人のものと変わらないと感じました。
私達がヨットで入国して最初の3年ほどは随分アチコチの辺鄙な場所にも訪れて電気が無い暮らしを見るたびに現代社会と原始社会の違いの根本は電気にあると思いました。
極端な例を上げると電気が無い村の生活は全員が貧しく貧富の差がなくあるものを分かち合って生活していました。
ところが一年前に日本のボランティアが発電機を設置してくれて各家庭に電気が来たと言う村へ行くと原始生活は一変します。
当然ながら発電するためには燃料が必要で燃料を買う費用は電気を使う量によって負担する訳ですが家族が出稼ぎなどでお金の都合がつく人は冷蔵庫や冷凍庫を買います。
冷凍庫を買った人は今までとれ過ぎた魚は村の中でブツブツ交換してたのを買い漁ります。
週に一回とか回ってくる物資船に売ると高く売れるからです。
そして物資船から色々な物を仕入れて村人に売ります。
電気が来るまで殆ど動いて無かったお金が一気に動き始め貧富の差がどんどん大きくなります。
ただどんなに貧しい家でお金が払えなくても1つの電球だけはつけてくれるそうで少し安心した覚えがあります。
原始生活と現代生活の大きな違いはお金と火と電気と冷蔵庫と思うんですが、、、
マハリンで生活してる私達はお金を持ってますから魚や獣をとって来る必要はありませんが、冷蔵庫が壊れてるので生物の保存が出来ません。
冷蔵庫が無い暮らしは私も子供の頃には経験してるはずですが小学校ではもうあったと思うので初めての経験の様に感じます。
ホロホロでも2回故障して一日づつ位は使え無かったことはありますが今回マハリンでは約一ヶ月冷蔵庫無しで暮らしました。
火はガスがありますからハンドルを回せば火が着きますから種火を残す心配も山から木を拾って来る心配もありません。
しかし室内の灯り等に使うバッテリーが駄目なので原始人同様に明るい間に出来ることをして日がくれて真っ暗になってもまだ寝るには早いですから星を眺めたりスマホでゲームをして過ごしています。
ただ日中はソーラーパネルが働くのでスマホの充電が出来ますからスマホが使える原始生活は無いですから大違いですが、皆さんも試しに一度電気と冷蔵庫が無い暮らしを夏にしてみて下さい。
かなり頭も使うけど結構楽しめますよ。
20年前と比べてフィリピン人が作る料理の味が濃くなったけど美味しくなってるので助かります。
下痢やアミーバ赤痢があったので外食が少し怖いのに冷蔵庫が壊れてるから思うような食事が作れないから多分旅行出発前からやってた減量作戦には効果があったと思います。
昼の外食は美味いのに当たりましたが今晩はどうかな??
バーベキューは美味いけど消化が余り良くないようですから、、、
いずれにしても後数日で日本へ帰ります。
今回の半原始生活も懐かしく思う日が来るでしょう。
身動きさえ出来なくなる日は近いのですから、、、
さてそんな半原始生活でも現代的に朝は
パンと目玉焼きとサラダとマンゴーとコーヒーに幾つかのサプリメント。
その後散歩に出て山を越えて3時間ほど歩き、あれこれ迷った末に行ったのはフィリピン食堂でしたが大ヒットで美味しかったです。
散歩の途中に咲いていた花
午後は泳ぎに行こうと思ったけど風が強かったのでダイビング機材を洗って干しました。
どその後上陸してヨットクラブでシャワーを浴びて夕食に。
近藤氏もアミーバ赤痢から脱却して昨日から食欲が出てるのでイタリアンの店へ
ピザ2つとパスタ1つを注文してシェアして食べました。
私はビール二本、病み上がりの近藤氏は大事をとって一本にしました。
このピザもヒットで美味しく食べました。
近藤氏は近所に住む日本人婆さんにヨットで住んで貰って無料の泊地へ移る事に決めた様です。
誰かが設置したブイを譲って貰う事が決まった様です。
そして近藤氏はとりあえず日本へ帰る様です。
フィリピンには無数にある駄菓子や生活必需品を少し置いてるサリサリストア