PART3「赤穂浪士」はこちら。
大河第三作目の「太閤記」は逸話の多いドラマだった。「赤穂浪士」が大成功だったので、その次は大変だろうと誰だって思う。ところが、60年代のNHKはまだ牧歌的だったのか
「そう当てなくてもいい。変化球でもいい」
と上層部は考えていたそうだ。
「スターを集めなくてもいいが、美空ひばりだけは使え。くの一(女忍者)なんかにすれば、絶対にうけるぞ」
長沢芸能局長はのん気です(笑)。これが実現していたら、はたして太閤記は成功しただろうか。なにしろ配役は
秀吉役については、「サル顔」の俳優を探し回り、田中邦衛やジェリー藤尾らが候補に挙がった。吉田(演出)と同期生で、制作担当の広江均が演劇評論家の安藤鶴夫から「新国劇にサル顔の有望な若手がいる」と聞き、京都の撮影所にいた緒形(拳)を訪ねた。理由は伏せて「笑ってください」と写真を撮り、東京に持ち帰ったところ、吉田たちは「笑い顔がいいじゃないか」と主役に決めた。
織田信長にいたっては
高橋幸治の場合、俳優の宮口精二の付き人に立派な顔をした男がいるという話を聞き、吉田が会うと、実に堂々としている。吉田が「信長によさそうだ」と話すと、高橋は「ああ、そうですか。やってみたいですね」と答えた。正式に決定したわけではないが、吉田らが局内の部長会に連れて行った。高橋が歯切れよく「信長です。よろしくお願いします。」と一礼したところ、その場で拍手が起き、信長役に決まった。
……のん気な時代。新国劇のホープと文学座の研究生の抜擢はこのようにして決定。石田三成役の石坂浩二については、「頭がよさそうに見えるから」と写真だけで決めたという。まだ慶応の学生だったのに!以下次号。