映画「セールスマン」(ペルシア語の原題は入力できないので省略)を観た。
http://www.thesalesman.jp/
カンヌ映画祭で高い評価を得た作品。アメリカのアカデミー賞も受賞したが、トランプの政策に反対して授賞式はボイコットしている。それがいいことなのかどうかは別にして、権威に媚びない毅然とした態度は立派である。日本の映画人にも同じ心意気があると信じたい。トランプにヘーコラするのは暗愚の宰相だけでいいのだ。
イランでは映画も演劇も検閲を受ける。イスラム教の国としてコーランの教えに反した作品は上映も上演も認められない。この映画でも過激な描写はなく、必要な場合は前後のシーンで暗示する。イスラム教が影響しているのは検閲だけではない。人々の暮らしはコーランに束縛され、あるいは守られている。
この映画にもイスラムの戒律がそこかしこに感じられるが、人々はそれほど窮屈な生活をしているようには見えない。スマートフォンを持ち液晶大画面のテレビのある生活だ。未来を案ずるのは世界中のどこも同じである。
本作品が描くのは、夫婦の葛藤だ。起きた事件を自分の心の問題として捉え、何とか精神を立て直そうとする妻に対し、事件を社会的な問題として捉えて合理的な解決を図ろうとする夫。互いに理解しあえぬままだが、なんとか互いに歩み寄ろうとし、また同じ劇団の役者として芝居の舞台に立ち続ける。フランスの作家バルザックの小説のように、人生の不条理を淡々と描く。
夫婦はもともとは他人で、一緒にいることで夫婦となっているが、心はどこまでも別々である。それは日本で1971年に発表された「黒の舟歌」という歌謡曲の歌詞みたいだ。
♪男と女の間にはふかくて暗い河がある
♪誰も渡れぬ河なれどエンヤコラ今夜も舟を出す
誰も他人の生を生きることはできない。誰も他人の死を死ぬことはできない。果てしなく深いクレバスのように、人と人との間には越すことの出来ない溝がある。
人間はこんな風にして生きていく。そんな映画である。人生はなんて惨めで滑稽なんだろうと思うもよし、それでも生きていくと決意するもよし。いずれにしても、見終わった後に胸に重たくのしかかるものがあるのは確かだ。