三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「セールスマン」

2017年06月25日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「セールスマン」(ペルシア語の原題は入力できないので省略)を観た。
 http://www.thesalesman.jp/

 カンヌ映画祭で高い評価を得た作品。アメリカのアカデミー賞も受賞したが、トランプの政策に反対して授賞式はボイコットしている。それがいいことなのかどうかは別にして、権威に媚びない毅然とした態度は立派である。日本の映画人にも同じ心意気があると信じたい。トランプにヘーコラするのは暗愚の宰相だけでいいのだ。

 イランでは映画も演劇も検閲を受ける。イスラム教の国としてコーランの教えに反した作品は上映も上演も認められない。この映画でも過激な描写はなく、必要な場合は前後のシーンで暗示する。イスラム教が影響しているのは検閲だけではない。人々の暮らしはコーランに束縛され、あるいは守られている。
 この映画にもイスラムの戒律がそこかしこに感じられるが、人々はそれほど窮屈な生活をしているようには見えない。スマートフォンを持ち液晶大画面のテレビのある生活だ。未来を案ずるのは世界中のどこも同じである。

 本作品が描くのは、夫婦の葛藤だ。起きた事件を自分の心の問題として捉え、何とか精神を立て直そうとする妻に対し、事件を社会的な問題として捉えて合理的な解決を図ろうとする夫。互いに理解しあえぬままだが、なんとか互いに歩み寄ろうとし、また同じ劇団の役者として芝居の舞台に立ち続ける。フランスの作家バルザックの小説のように、人生の不条理を淡々と描く。

 夫婦はもともとは他人で、一緒にいることで夫婦となっているが、心はどこまでも別々である。それは日本で1971年に発表された「黒の舟歌」という歌謡曲の歌詞みたいだ。
 ♪男と女の間にはふかくて暗い河がある
 ♪誰も渡れぬ河なれどエンヤコラ今夜も舟を出す
 誰も他人の生を生きることはできない。誰も他人の死を死ぬことはできない。果てしなく深いクレバスのように、人と人との間には越すことの出来ない溝がある。

 人間はこんな風にして生きていく。そんな映画である。人生はなんて惨めで滑稽なんだろうと思うもよし、それでも生きていくと決意するもよし。いずれにしても、見終わった後に胸に重たくのしかかるものがあるのは確かだ。


映画「LOGAN」

2017年06月25日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「LOGAN」を観た。
 http://www.foxmovies-jp.com/logan-movie/

 XMENシリーズはいずれも、単なるヒーローアクションの映画ではなく、ミュータントとして生きている自分自身のアイデンティティの相克がテーマになっている。
 本作も例外ではなく、悩める主人公が迫り来る敵と戦いながら、自身のレーゾンデートルを模索し続けるという二重構造の奥行きを持っている。そこに少女が加わって、物語は立体的に進んでいく。
 兎に角ヒュー・ジャックマンがいい。肉体は衰えても百戦錬磨の中年男らしく胆の据わった主役にぴったりの堂々とした演技だ。これまでのXMENの役柄とは一味違う深みがある。
 わかりづらい設定も、ストーリーが進むにつれて徐々に明らかになっていく。決して説明的ではないところがいい。

 結局家族が一番という世界観はいかにもアメリカ映画の定番だ。よく考えたら、アメリカで軍事小説とスパイ小説のベストセラー作家であるトム・クランシーもロバート・ラドラムも底流にあるのは家族が一番大事という考え方だった。アメリカという国は、信じられるものが家族だけだった開拓時代の心情がいまだに民衆の心の底に色濃く残っているようである。それはそれで悪くはないが、世界観の広がりを制限してしまっているのは否めない。
 本作品もそんな世界観にどっぷりはまってはいるものの、映画自体としてはストーリーも演出も演技もカメラワークも一級品で、とても楽しめる快作である。