三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

社労士本間由美子の「ほう」

2019年03月01日 | 日記・エッセイ・コラム

とある講習会にて。
これほど「ほう」を使った話をはじめて聞いた。

 

顧問先のほうに健康経営のほうをおすすめさせていただいて認定のほうを頂戴しました。

会社のほうを休んではいないが、生産性のほうが低下している。

厚労省のほうから会社のほうに連絡のほうがある。

働き方改革は政府のほうで対応のほうを進めている。

健康経営のほうも一緒に考えてほしい。

リーフレットのほうを付けてあります。

銀バッジのほうを取ると、優良法人のほうも取れる。

こちらのほうで進めていく。

会社のほうに係るお話のほうや相談のほう、担当者のほうを決めていただく。

費用のほうについてご提案のほうをさせていただく。

お手元のほうに用紙のほうがあります。

協会けんぽのほうに窓口のほうが定められていて、専門家のほうを会社のほうに派遣します。

私のほうで取り組んだ事例の紹介のほうに入ります。

回覧文書のほうを回す。

取組のほうを始めてみてください。


映画「ねことじいちゃん」

2019年03月01日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「ねことじいちゃん」を観た。
 http://nekojii-movie.com/

 ベーコンという猫は大した役者である。演じたタマは、人に寄り添い、淋しい三毛猫に寄り添う。勿論見返りなど考えもしない。ただ生きて、そして死ぬ。生きていることに意味などない。そんなものを求めているのは人間だけだ。だから人間はいつも欲求不満で、いつも不幸なのだ。
 動物を飼うのは生命と向き合うことである。生命というのは健やかなときもあれば病めるときもある。外見は綺麗でも、大腸には汚物を溜め込んでいる。そして一刻ごとに老いていく。飼い猫が成長して老いていくということは、飼っている自分も老いていくということだ。
 島にはたくさんの猫が住んでいる。島の老人たちは、自分たちが老いて近いうちに死んでいくことを知っている。まだ経験していないことはたくさんあるが、今更そんなことを嘆いてもしょうがない。それよりも身近な人やもの、それに島の猫を大切にしよう。歳を取ると残り少ない日々がとても愛しい。
 掃き溜めに鶴ではないが、老人たちばかりの島にやって来た女性に、柴咲コウというとびきりの美人を配役したのがよかった。みんなから注目され、そして好かれなければいけない役だから、目を瞠るほどの美人である必要があるのだ。その上に優しさと落ち着きを持ち合わせていなければならない。柴咲コウには、女の優しさを表現する力がある。
 猫と老人たちとで過ぎてゆく日常を淡々と綴った作品だが、壊れたり失われたりすることそれ自体を愛する気持ちがある。諸行無常を嘆くのではなく、人生の儚さそのものを楽しむ、俳諧のような世界観だ。味わい深い良作である。