三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「魔女がいっぱい」

2020年12月05日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「魔女がいっぱい」を観た。
 出来のいいファンタジー映画には、芭蕉の俳句「おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉」に通じるような物悲しさある。逆に言えば、そういう部分がない能天気なファンタジーは世界観が浅くて観客を感動させることが出来ない。
 本作品は出だしからして悲しい出来事からはじまる。ところどころで誰かが死ぬという、割とシビアな展開でもある。前向きな部分と死に対して冷徹な部分とがあり、揺らぎながら物語が進むところにリアリティがある。
 魔女は残酷で子供が大嫌いという設定が面白い。アンジェリーナ・ジョリーの「マレフィセント」と正反対のような設定だ。アン・ハサウェイが登場してからは、アメリカのTVシリーズ「Tom & Jerry」みたいな感じで物語が展開する。ホテルで出会った少年ブルーノの両親は魔女と同じくらい子供に冷淡で、これも典型的な人物造形だ。
 ホテルの大魔女の部屋が666号室であるのが示唆的である。ご存じない方のために説明すると、聖書の「ヨハネ黙示録」第13章に「思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間を指すものである。そして、その数字は六百六十六である」と書かれてある。大魔女の部屋は666号室以外にあり得ないのだ。
 ファンタジー映画は必ずしもハッピーエンドとは限らない。本作品は将来かならず訪れる別れを予感させる物語で、無常観みたいなものも感じられる。面白かったし、とても印象に残る映画だった。

映画「サイレント・トーキョー」

2020年12月05日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「サイレント・トーキョー」を観た。
 今年はそうでもなかったようだが、例年のハロウィンの渋谷は、ハロウィンの意味も知らずに集まった若者たちで賑わう。何を主張するでもなく、他人に受けるためにSNSで画像や動画や短い文章を発信する。仲間とつるんで同じ仮装をする者もいれば、ひとりで堂々と仮想を披露する猛者もいる。中にはハメを外して公共の物や他人の物を壊す愚かな人間もいる。渋谷を爆破するならクリスマスではなくハロウィンだろうとよからぬことを考えてしまった。
 さて本作は役名があまり意味をなさない作品である。登場人物は怪しい年配男と怪しい青年、刑事1、刑事2、管理官、平凡な主婦に見える女、テレビマン1、OL1、OL2、それに自衛官1、自衛官2、自衛官1の妻、それに暗愚の総理大臣とすれば事足りる。ネタバレにはならないと思うので書くが、怪しい年配男は自衛官2と、平凡な主婦に見える女は自衛官1の妻とそれぞれ同一人物と思われる。それだけ頭に入れて鑑賞すれば、悩むことなく楽しめると思う。
 刑事1の捜査能力が超人的すぎるのとOL1がアホすぎてややリアリティに欠けるところがあり、刑事1と管理官の過去の出来事や怪しい青年の仕事の内容は明らかにされないままだし、結末が本当はどうだったのか不明のままだ。なんとなく消化不良のもやもや感が残る作品だが、音響や画像処理には迫力があって、作品としての見応えは十分にある。
 特に緊迫した場面での年配男(自衛官2)と自衛官1の妻の会話は、作品を最後まで見ないとその意味がわからないという仕掛けになっていて、思い返してそういうことだったのかと膝を叩く。序盤のテレビマンに対する平凡な主婦に見える女の態度が強引すぎて違和感があるのだが、それも最後になって意味がわかる。
 ネタがわからないままの壮大なイリュージョンを見せられたような印象の映画で、佐藤浩市と石田ゆり子をはじめとする役者陣の熱のこもった演技が危なっかしいショーを必死に支えているように感じた。あとに残るものはないが、楽しめることは楽しめる。
 鶴見辰吾演じる暗愚の宰相はドナルド・トランプと金正恩とアベシンゾウを足したような人物に描かれていて、製作者がそこまで踏み込んだことは評価されるべきだ。ちなみに当方は選挙は毎回投票しているが、安保法制や秘密保護法などの戦争法をすすめた政党や嘘つきの知事に投票したことは一度もない。しかしなるべく渋谷には近寄らないようにしようと思う。