映画「魔女がいっぱい」を観た。
出来のいいファンタジー映画には、芭蕉の俳句「おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉」に通じるような物悲しさある。逆に言えば、そういう部分がない能天気なファンタジーは世界観が浅くて観客を感動させることが出来ない。
本作品は出だしからして悲しい出来事からはじまる。ところどころで誰かが死ぬという、割とシビアな展開でもある。前向きな部分と死に対して冷徹な部分とがあり、揺らぎながら物語が進むところにリアリティがある。
魔女は残酷で子供が大嫌いという設定が面白い。アンジェリーナ・ジョリーの「マレフィセント」と正反対のような設定だ。アン・ハサウェイが登場してからは、アメリカのTVシリーズ「Tom & Jerry」みたいな感じで物語が展開する。ホテルで出会った少年ブルーノの両親は魔女と同じくらい子供に冷淡で、これも典型的な人物造形だ。
ホテルの大魔女の部屋が666号室であるのが示唆的である。ご存じない方のために説明すると、聖書の「ヨハネ黙示録」第13章に「思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間を指すものである。そして、その数字は六百六十六である」と書かれてある。大魔女の部屋は666号室以外にあり得ないのだ。
ファンタジー映画は必ずしもハッピーエンドとは限らない。本作品は将来かならず訪れる別れを予感させる物語で、無常観みたいなものも感じられる。面白かったし、とても印象に残る映画だった。