三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「#フォロー・ミー」

2020年12月16日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「フォロー・ミー」を観た。
 ドッキリ番組があまり好きではない。かつては芸能人相手に過激なイタズラを仕掛ける「スタードッキリ㊙報告」というフジテレビの番組があって、現在ではTBSの「モニタリング」という素人を驚かせようとする番組がある。いずれの番組も見ていて不快である。
 どうして不快に思うのか。それはイタズラを仕掛ける側の心理がいじめっ子の心理とほぼ同じだからである。相手が反撃して来ないことを見越して、または反撃してきても簡単に撃退出来ると自負してイタズラを仕掛ける。ネタばらしにキョトンとした顔をするのを腹を抱えて笑う。
 ドッキリ番組がイタズラを仕掛ける相手が素人の場合は、どんな反応をするか予想がつかない。場合によっては手酷い暴力を振るうかもしれない。ヤクザや半グレの連中であれば、落とし前と称して多額の現金を要求してくるかもしれない。テレビ番組がそんなリスクを冒す筈もなく、いたずらを仕掛けるのは番組が期待する反応をしてくれる相手に限定しているのだろう。そこに製作者の傲慢さがあり、ドッキリ番組が好きではない理由もそこにある。
 本作品にも最後にキョトンとした顔をする登場人物がいる。呆然とすると言ってもいい。呆然としたのは誰か。世界的にSNS全盛の現在、思想も信条もなくて、ただ面白ければいい、いいね!やフォロワーが沢山つけばいいという動機で沢山の人が沢山の動画をアップしている。それで儲けている人間もやはり沢山いて、テレビマンのように徐々に仕掛けがエスカレートしていく。大掛かりなドッキリやイタズラ。その先に待っているものは何か。それが本作品のプロットの中心部分である。
 ネタバレ厳禁なのでわかりにくレビューになったが、殆どの観客は鑑賞途中で結末が見えてくると思う。そしてその通りの結末となる。どんな結末かは観てのお楽しみである。ある意味で痛快な作品と言っていいと思う。

映画「天外者(てんがらもん)」

2020年12月16日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「天外者(てんがらもん)」を観た。
 時間の流れが分かりにくい作品である。主人公五代友厚の見た目が歳を取らないから、シーンの変わり目にどれくらいの時が流れたのか、見当がつきにくい。せめて西暦とその年の友厚の年齢のテロップでもあればよかったと思う。
 加えて、五代友厚が実際に何をしたのか、肝心の実績についての具体的なシーンがないから、五代友厚に関してよほど詳しい人でなければ感動もしないだろう。当方も恥ずかしながら五代友厚のことをよく知らない状態で鑑賞したので、何がなんだかよくわからなかった。起承転結の起と結だけを見せられた感じである。
 当方の勝手な推測ではあるが、こんな外箱だけみたいな映画になってしまったのは、主演の三浦春馬の自殺が大きな理由に違いない。しかし公開された映画は製作者や出演者と切り離されて、独立したひとつの作品として評価されなければならない。主演俳優の自殺は話題ではあるが、作品の価値とは無関係だ。
 とは言え、いいシーンはいくつかあった。序盤の地球儀のシーンや万華鏡のシーン。空間把握力に優れ、手先が器用であったことがわかる。三浦翔平の坂本龍馬とのシーンでは剣術と柔術の腕が達者であったこともわかった。それらが中盤や後半に発揮されるのかと思ったがそうではなかった。帝国主義真っ只中の時代に列強の植民地にされず、外国と対等の関係を作るために富国強兵の上申書を書いたことが高く評価される。器用さや腕っぷしよりも、将来を展望して目的のために進むこと、進みつづけることが五代才助、友厚の身上なのである。
 三浦春馬は去年(2019年)の1月にBunkamuraシアターコクーンでの舞台「罪と罰」を観たのが印象に残っている。筋肉質で鍛えられたシャープな体を晒して主人公ラスコリニコフを演じる存在感に感動したことを憶えている。本作品の切れのある動きはあのシャープな肉体あってのものだろう。
 人間は多面的である。本作品の五代友厚は国家の発展のために尽くす維新の立役者としての一面をクローズアップして表現したが、機関車のようにパワフルに突き進んでいった人間の、そのエネルギーのよって来たる源を表現できれば更によかった。三浦春馬のナイーブな演技は五代才助、友厚という人間が悩みの中で自分を叱咤するように進んでいったことがよく分かる。それは三浦春馬なりの解釈だったのであろう。俳優としてできる限りの演技をしたことが窺える。その熱意を受け止めるような、五代友厚の現実的な活躍ぶりを存分に見せるシーンがなかったことは、返す返すも残念である。三浦春馬の演技を評価して4.5をつけたいところだが、映画としては少し分かりづらい惜しい作品として3.5とする。