映画「夢みるように眠りたい」を観た。
人の記憶は不思議なもので、3日前に食べた夕食はとっくに忘れているのに、何十年も前の記憶が鮮明に残っていることがある。特に中学生、高校生の時代の記憶は格別だ。突然泣き出したクラスメートの横顔、卒業式で別れた友人の顔、駅のホームで見送ってくれた異性の表情など、今でもはっきりと憶えている。悲しかった筈のそれらの記憶は、今では宝物のように心の奥にしまっていて、誰にも話すことはない。
本作品は、往年の女優月島桜が50年前の映画撮影時の、撮影されなかった最後のシーンをいつまでも心残りに思い続けているという映画である。演じたヒロインの名前は桔梗。助けてくれる筈のヒーロー役の役者とそっくりな私立探偵を街で見かけたときは、さぞ驚いたことだろう。命の残り少ない月島桜は、一計を案じてその私立探偵魚塚甚が50年前の映画のように自分を助けに来てくれるラストシーンを演じようとする。もう死んでいくのだ。お金は惜しまない。
探偵は月島桜が描いた青写真の通りに動かされていく。調査の途中で自分が誰かのシナリオに乗せられていることに気がつくが、毒を食らわば皿まで、最後まで付き合う決意をして調査を続行する。佐野史郎はこの作品がデビュー作とのことだが、変わり者の探偵の役がよく似合っている。黒い頭巾の着物姿のヒーローが佐野史郎だと気づいたのは物語の終盤だ。
林海象は、この世で考えられる最高に幸福な死を、ひとつの現実として描いてみせた。効果音とBGMを除いてサイレントとしたのは、そのほうが現実感が増すからである。大泉滉のクォーターらしいエキゾチックでどこか怪しげな演技が光る。この人の嘘っぽさが逆に作品にリアリティを与えているのが不思議なところだ。
月島桜のか細い命をぎりぎり繋いでくれている薬。飲まなければ命が失われるのを承知で、ラストシーンの迫った夜に薬を飲まない決意をする。最後の最期に漸く現れたヒーロー。無念だった50年前の記憶は、いま鮮明に桜の、いや桔梗の目の前に蘇る。助けに来てくれたヒーローこと魚塚甚がじっと見つめてくれる幸せ。桜は最上の幸福に浸りながら目を閉じる。続くラストシーンは過去と現在が混合して、探偵は誘拐された桔梗を見事に救い出す。まさに夢みるような幻想的な作品だった。秀作。