映画「ジョゼと虎と魚たち」を観た。
フランソワーズ・サガンの小説は、有名な「悲しみよこんにちは」「ブラームスはお好き」それに「熱い恋」を高校生のときに翻訳で読んだきりだ。濫読、多読、卒読の時期だったこともあって、内容は憶えていないし、心に残る言葉もない。本には相性というものがあり、自分に合う著者と合わない著者がいる。同じく高校生の頃に読んだ本では、ニーチェやショーペンハウエル、サルトルなどの本の言葉は記憶に残っているのに、サガンについてはまったくの白紙である。本作品では清原果耶がとても上手に声優を務めたジョゼが、自分の部屋でブツブツと、おそらくサガンの小説の言葉を呟くシーンがあるが、ちっとも響いてこない。サガンを憶えておけばよかったと思った。
原作の田辺聖子は古くはSF作家の筒井康隆と交友があったようで、筒井の本に「おせいさん」と呼ばれて仲間から親しまれていたと書かれていたと思う。本作品の原作を書いたのは1984年、おせいさんが56歳のときだ。社会的にセンシティブな問題を人間の生活に直接的に結びつく問題として正面から扱っている。作家はときとして蛮勇を発揮して批判を恐れずに小説を書かなければならないことがある。おせいさんは勇気のある作家であった。同時におちゃめな人でもあって、主人公の名前を連合赤軍のテロリストと同じにしたのはおせいさんの悪ふざけかもしれない。
本作品は優れたラブストーリーだ。真っ直ぐな青年恒夫と自由を求める不具の女性ジョゼを中心とした半年程度の人間模様を描く。恋愛には邂逅が必要だ。本作品では出逢いの場面、求める自由の舞台が海であること、そして再度の出逢いの場面と、3つの邂逅が描かれる。ご都合主義だと言われるかもしれないが、大恋愛には奇跡が必要なのだ。
原作を軸として大きく想像を広げて上手に脚本を書いていると思う。担当した桑村さや香さんは、いじめを扱った問題作の映画「滑走路」でも脚本を書いていて、言葉の選び方がとても上手だ。ここではこの言葉だろうと思う台詞をど真ん中できっちり書く。変に飾らないところがいい。人が死んだら「死んだ」「亡くなった」と書けばいいのであって「魂が天に召された」などと書くものではない。その点、桑村さや香さんはよく分かっている。
本作品も直球の言葉ばかりで無駄がない。観客はどこまでも想像力を広げられる。だから観客それぞれの想像と実際の映像が重なって、多くの人が感動する。そして人生に前向きになれると思う。人それぞれの感動をひとつの作品で湧かせるのだ。言葉の多義性を存分に生かした見事な作品である。