映画「草の響き」を観た。
奈緒はこのところ映画にテレビドラマに大活躍である。主演した映画は「ハルカの陶」と「みをつくし料理帖」で、まったく異なる役柄ながら、見事に演じきっている。今年(2021年)公開された映画「先生、私の隣に座っていただけませんか?」や「君は永遠にそいつらより若い」でも、重要な役どころを好演。いま最も勢いのある女優のひとりと言っていいと思う。
心が壊れてしまった主人公を東出昌大が演じるのは、あまりにもぴったりきすぎている。演じた主人公の和雄の悩む表情が、不倫発覚時の記者会見のときとまったく同じ表情だった。最後まで妻の杏が許してくれると信じていたのだと思う。いくつになっても甘えん坊の男である。なんだか気の毒に思えてしまった。
心が壊れてしまった男の妻の立場はとても辛い。夫の心が壊れた責任の一端は自分にあるように思えてしまうからだ。避妊をせずにセックスする夫。にもかかわらず妊娠を素直に喜べない夫。喜ぶ余裕がないから喜べないのであって、悪気がある訳ではない。それがわかっているから逆に辛い。その辛さを、奈緒が上手に演じる。今回も素晴らしい演技だった。
辛い夫と辛い妻。苦しいだけの夫婦だ。実際の東出昌大が妻の杏に寄りかかっていたように、本作品でも夫の和雄は妻の純子に精神的に寄りかかっている。東出はよくこの作品に出演したものだと思う。現実とほぼ重なり合っている。
和雄には妻に対する感謝の気持ちがない。努力を当然のことのように受け止められてしまうと、妻の努力が報われず、気持ちが宙に浮いてしまう。当たり前の対義語はありがとうである。ありがとうのひとつも言わない和雄に、純子はだんだん疲れてくる。人として尊重されていないと感じれば、愛はなくなる。人を人として尊重しない人はもはや尊敬できない。尊敬がなくなれば、同時に愛もなくなる。
一方、友情はどうだろう。こちらも同じだ。一緒にいたり遊んだりすれば楽しい時期がある。しかし楽しさはいつまでも続かない。その時期を過ぎても一緒にいたいと思うのは、相手を尊敬する気持ちがあるからだ。弟子と師匠の関係と同じである。弟子は師匠を尊敬するからついていく。尊敬できない師匠についていく弟子はいない。友情は互いが弟子であり師匠である関係でなければならない。相互的に尊敬の関係でなければ続かないのだ。
本作品はふたつの似たような関係を微妙に触れ合わせながら、人と人とのつながりの儚さと孤独を描く。他人の死を死ぬことができないように、他人の人生を生きることはできない。自分の死を死ぬ者は自分しかいないのだ。その覚悟ができている者とできていない者。最後は別れが待っている。
人間関係はどんなに濃いように見えても、実はいつも希薄だ。そこを冷徹に描ききったのが本作品の真骨頂である。いい作品だと思う。