三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「哭悲 THE SADNESS」

2022年07月12日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「哭悲 THE SADNESS」を観た。
映画『哭悲/THE SADNESS』公式サイト|7月1日公開

映画『哭悲/THE SADNESS』公式サイト|7月1日公開

映画『哭悲/THE SADNESS』公式サイト|7月1日公開|あなたの中の悪意が目覚める

https://klockworx-v.com/sadness/

 常識人の仮面の奥に、悪意を隠している人は多いと思う。何らかのきっかけで仮面が割れてしまうと、悪意が溢れ出す。
 本作品ではそのきっかけがウィルスということになっているが、その感染力たるやコロナウィルスの比ではない。感染したらあっという間に発症する。理性のブレーキを瞬時に決壊させて、悪意と欲望の土石流が凄まじい暴力となって具現化する。この爆発的な現象に、誰も為す術がない。

 残虐シーンはとても工夫されていると思う。血の表現はシーンによって様々だ。ボトボトと落ちる、ドクドクと流れ出る、ビューっと噴出するなどのバリエーションがあって、そのたびにゾワッとする。肉片が飛び散ったり、噛みちぎられたり、皮膚を毟り取られたりと、人体に対する攻撃にまったく容赦がない。さっきまで生きていた人が、あっという間に赤い肉の塊に変化する。

 若くて健康な男女のカップルが別々のルートで感染者に遭遇し、それぞれのストーリーが並行して進む。脳のブレーキが外れた感染者は常に火事場の馬鹿力状態となって、恐ろしく強くて、速くて、凶暴だ。感染した警官は拳銃を持った殺人者となる。

 暴力を性感と結びつけてエクスタシーに至る設定は秀逸。感染者は罪悪感と快感のはざまで気が狂うほど充実した生に笑顔を浮かべる。これは気持ち悪い。善人に見えても一皮剥けば欲望とコンプレックスの塊なのだ。
 直接選挙で選ばれて尊敬されているはずの総統は、凡百の政治家並みにスローガンを繰り返すだけだ。具体策を示さないから、希望が見えない。政府に対する批判と政府が無力であることの両方を描いている。もはや八方塞がりだ。

 ふたつに別れていたカップルのルートがようやく収斂するが、待ち受けている運命は苛酷である。ラストシーンは笑顔の感染者の背後でダダダダダダという機関銃の射撃音が聞こえて、観客が僅かに想像していた希望をぶち壊す。
 夢も希望もない作品だが、絶望もない。あるのはカオスだけである。もしかすると平穏に見える我々の日常も、各自の脳内を覗いたら、本作品のような残酷無比な世界が広がっているのかもしれない。それはある意味、冷徹な世界観だ。