映画「ストーリー・オブ・マイ・ワイフ」を観た。
最初はゲームのようにはじまった。短いハニームーンの後、ジェイコブは船長として数ヶ月の航海に出る。待たされるリジーと待たせるジェイコブ。心配する者とされる者、求める者と求められる者。関係性は常に相対的で誘導的だ。
この種のゲームは大抵の場合女が勝つ。精神的なタフネスさが要求されるからだ。男は打ちのめされ、女は打ちのめした男の傷を手当する。ゲームは次々に展開し、次第に男は疲弊していく。そして新たな癒しを求めはじめる。別の女だ。
肉体の関係はいい。快感が精神を安心させ、落ち着かせる。それがなくなったらもはや男と女ではない。ただの同居人、または友だちだ。そして都会の生活には金がかかる。金銭問題が加わると、ゲームは一層複雑さを増す。そうなると一瞬でも隙きを見せたほうが負けだし、あるいは隙きを見いだせない場合も負ける。
結婚は健康にいいとコックにすすめられてはじめた夫婦を演じるゲームだったが、幸せの炎はやがて悩みのタネに変化してしまう。人生に大工はいない。素人に修復は難しい。
はじめは誰もが愛を語るが、年月が経過して色褪せてしまうと、誰も愛を語らなくなる。愛を語らなくなったときこそ、信頼がさらに深まるきっかけとなるのだが、大抵の人はそこまで待てない。愛は朝露のように消えていく。
リジーを演じたレア・セドゥもジェイコブのハイス・ナバーも、大変見事だった。ハイス・ナバーが1980年生まれと、意外に若かったのが驚きだ。レア・セドゥは1985年生まれ。いままさに脂が乗りきっている。