三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「長崎の郵便配達」

2022年08月07日 | 映画・舞台・コンサート
映画「長崎の郵便配達」を観た。
映画『長崎の郵便配達』公式サイト

映画『長崎の郵便配達』公式サイト

1冊の本からはじまった父の記憶を辿る旅― 今、娘が受け取る平和へのメッセージ。『ローマの休日』のモチーフになったといわれる元英空軍大佐ピーター・タウンゼンド。彼が出...

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 さだまさし(グレープ)が歌った「精霊流し(しょうろうながし)」は、静かなイメージの「灯籠流し」とは異なり、爆竹が鳴り響く派手な祭である。港町長崎らしい、各国の文化が入り混じった不思議な味わいの祭だ。

 本作品では、被爆者である谷口稜曄さんを取材したフランス在住のイギリス人作家ピーター・タウンゼントとその娘である女優のイザベル・タウンゼントの心情を中心に描くが、谷口さんが過ごした長崎の様子も同時に描く。
 長崎は尾道と同じく坂の町である。道は通り過ぎるイメージだが、坂は上り下りする息づかいのイメージがある。人々の生活により密着しているように感じられるのだ。坂を上り下りしたピーターさんと40年後に訪れたイザベルは、こういう生活を一瞬で破壊した原子爆弾の非人道性にあらためて慄然とする。40年の時の流れも、原爆の恐ろしさを和らげることはない。

 人間は環境適応能力の高い生物だ。環境を変えようとするよりも、変化した環境に適応しようとする。それは為政者が代わることに対しても同じである。政策に異を唱えるよりも、新しい政策に対してどうすれば自分が利するだろうかと考える人のほうが多い。それは戦争をする政策に対しても同じである。
 世界中の人が戦争に反対していると考えるのは楽観的過ぎる。戦争をしたい政治家がいて、武器弾薬を売りたい軍需産業がある。政治家が敵国を想定して、その存在が著しく国益を損ねると訴えれば、戦争もやむなしと思ってしまう単純な人が実に多い。戦争には反対だけど、今回は仕方がないでしょ、という妥協論である。
 こういった妥協論は、反戦の覚悟が不足していることに由来する。反戦というのは戦争を仕掛けないだけではない。たとえ戦争を仕掛けられても、それに応じないことも反戦だ。そして政治家の役割は、戦争を仕掛けられないように外国と上手に渡り合うことだ。

 世界には平和という大義名分がある。その大義名分を最大限活用すれば、戦争をしたい国を牽制することが可能だ。大国の核兵器の傘下に入るという考え方は浅はか過ぎる。核のエスカレーションは危機を高めこそすれ、戦争回避の役に立たない。そんなことは子供でもわかる。平和とは武力で争わないことだから、軍備を減少させることが第一だ。軍備を増強させることは売り言葉に買い言葉の効果しかない。

 ところが日本では「積極的平和主義」のために軍備を増強するという意味不明な主張をした政治家がいて、このバカが率いる政党が総選挙で勝ちつづけた。そして戦争法案をいくつも強行採決して、日本を憲法の平和主義を無視して戦争ができる国にしてしまった。こういう政治家に投票することは戦争に賛成をしたことになることに、未だに気付いていない有権者が多い。長崎や広島の平和記念式典でどれだけの人が平和を訴えても、戦争をしたい政治家に投票し続ける有権者がいる限り、戦争の危機は増大し続ける。

 珍しくシネスイッチ銀座が混み合っていた。上映後に舞台挨拶があるのだろうと予測したらその通りだった。川瀬美香監督によると、ピーターさんと谷口さんの二人を「天国チーム」と呼んでいるらしい。「天国チーム」は地球から戦争がなくなることを願っているのだろうが、地上チームの我々は、彼らの願いを叶えられるだろうか。シネスイッチで本作品を鑑賞した観客は、戦争したい政治家に投票するのをやめるだろうか。参院選の結果を見ても、悲観せざるを得ない気がする。
 イザベルは戦争の危機をいままさに実感していると言っていた。同じ実感を当方も共有している。コロナ禍やウクライナ戦争など、まさかと思われることが次々に起きる時代だ。近日中に台湾戦争がはじまったり、朝鮮戦争が再開したりすることもありうると思っている。そのときには我々の反戦の覚悟が試されるだろう。

映画「ファイナル アカウント 第三帝国最後の証言」

2022年08月07日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ファイナル アカウント 第三帝国最後の証言」を観た。

https://www.universalpictures.jp/micro/finalaccount

 ドイツ人の精神性は日本人のそれに似ている気がした。みんながやっていたからとか、命令されたから仕方なくとか、従わないと自分がやられるとか、そういった理由で自分の行為を言い訳する。どれも日本でも聞いたことがある言い訳だ。

 第二次大戦時に日本国内で朝鮮人や中国人がどんな目に遭ったのか、誰もはっきりとは語らないから詳細は不明だが、噂話や言い伝えの類はあって、日本人は彼らに対してかなり酷いことをしたらしい。関東軍が中国で行なった残虐行為については、映画「日本鬼子」でたくさんの元陸軍兵士が証言している。国内での朝鮮人や中国人に対する残虐行為も想像を絶する酷さであったことが類推される。三菱重工をはじめとする軍需産業が朝鮮人を徴用工として強制労働させた記録もある。しかし日本人の誰も、責任を取らない。言い訳はドイツ人と同じだ。

 本作品を観て恐怖を感じたのは、一度でも国家主義が走り始めたら、後戻りができなくなるということだ。お国のためという大義名分は万能で、あらゆる局面で国民の行動を制限し、束縛することができる。互いに見張り合って、ドロップアウトが許されない時代になるのだ。退職が不可能なブラック企業みたいなもので、労働力だけでなく精神まで全体主義に蹂躙される。
 個人として反体制を貫く人々も現われるだろうが、そういう勇気のある人はごく少数である。しかも弾圧されて拷問の憂き目に遭う。すると大多数は強権を恐れて物を言わなくなる。権力者に唯々諾々と従って、国家が破滅に向かうのを無気力に眺めているしかない。
 そうなっては遅いのだ。だから有権者は誰が戦争をする政治家で、誰が戦争を回避できる政治家なのかを見極めなければならない。戦争をする政治家を落選させ続けることが、戦争を望まない有権者の責務である。

 ところが昨今は、戦争をする政治家が当選し続けている。「積極的平和主義」などと意味不明の言葉を叫んで拳を振り上げていたアベシンゾーがその筆頭だった。アベは射殺されたが、その一派で軍事力増強を主張している政治家が国会に溢れている。

 極右政治家が勢力を伸ばしているのは日本だけの傾向ではない。世界の人々は多分、平和を望んでいないのだ。

映画「劇場版ねこ物件」

2022年08月07日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「劇場版ねこ物件」を観た。
映画『劇場版 ねこ物件』公式サイト

映画『劇場版 ねこ物件』公式サイト

猫付きシェアハウスを舞台に、猫と人との繋がり方や新しい家族の形を描いたハートフル・ストーリー。主演:古川雄輝 監督・脚本:綾部真弥 2022年8月5日(金)ROADSHOW.

映画『劇場版 ねこ物件』公式サイト

 

 猫を飼うには覚悟が必要だ。猫に対して決して怒りの感情を持たない覚悟である。猫は本能と遊びで生きている。悪意はない。赤ん坊と同じだ。赤ん坊が泣いたりグズったりしても親は怒りの感情を抱かない。もし抱くとしたら、その人は親になる資格がない人である。

 親が子供を殺した報道に触れるたびに、どうして義務教育で親の覚悟について教えないのか、疑問に思う。猫と人間の子供を一緒にするなとの指摘があるかもしれないが、生き物を育てるという点では、本質的な違いはない。
 二星ハイツ七箇条はとてもよく出来ている。猫を子供に変えれば、子供のいるすべての家庭にそのまま適用できそうだ。親になるということは子供の存在のすべてを受け入れることであり、子供第一の生活をすることである。猫は疎外感を感じることはないが、子供は親から受け入れてもらえないと、自己肯定感の低い人間に育つ。それは不幸を育てているのと同じだ。
 悪人が登場しない優しい作品である。ドラマは観ていないが、登場人物それぞれの物語が紹介されるのだろう。ドラマはドラマでほのぼのした時間が過ごせそうだ。人生の辛さとは縁がないが、たまにはこういう性善説の作品を観て、猜疑心に充ちた日常を省みるのもいいかもしれない。