映画「ホワイト・ノイズ」を観た。
設定が面白い。正常性バイアスだけで生きているような大学教授と、得体の知れない恐怖心に苛まれる妻、ラジオや雑誌の怪しげな情報を元に分析するのが好きな長男、ただ家族を心配するリアリストの長女。自分のことよりも物事の実態を知りたがる男たちに対して、どこまでも自分たちの現実を考える女たち。一発逆転の賭けに出る父親と一蓮托生を諦める家族。
教授の専門はヒトラー研究だ。ヒトラーを取り巻く環境から、彼の精神性を紐解いていく訳だが、そもそもヒトラーは異常者である。教授自身の精神性を安定させるためにも、普段は正常性バイアスに固執する必要があったのかもしれない。
こういう設定にしたら、何か事件が起きなければ物語が進まない。そして事件は起きる。起きるが、どこか遠い場所での出来事のように感じられて、今ひとつ現実感がない。正常性バイアスの教授は当然のように動こうとせず、長男は危機を煽りまくる。
この出来事をきっかけに、アダム・ドライバー演じる教授の正常性バイアスにヒビが入りはじめる。そしてもうひとつの何気ない出来事。太った同僚が事故で死んだニュースだ。あんなにでかくて頑健に見える人間も死ぬのか。正常性バイアスの崩壊はやがて疑心暗鬼となり、被害妄想に繋がっていく。ドライバーは、このあたりの教授の不安や恐怖をとても上手に表現する。流石の演技力である。
日常と極限状況は、実は紙一重だ。東日本大震災を例に挙げるまでもなく、ある日突然異常事態に追い込まれることは、割と頻繁に起きている。今年(2022年)の12月には、工事の人がドアホンを鳴らすのでドアを開けたら、いきなり刺されて殺されたという事件が起きた。死んだ人も気の毒だが、暫くの間マスコミに押しかけられて世間のさらし者にされる家族はもっと気の毒だ。大黒柱を失ったことを想像すると、心から同情する。
やられる前にやる。妻に迫っている怪しげなマインドコントロールの主に対して、教授がそう考えたのも無理からぬことである。話し合うことも出来ただろうに、教授がそうしなかったのは、被害妄想に突き動かされたからだ。
同じようにやられる前にやることを主張する人々が日本にもいる。教授と同じように被害妄想に駆られているからだが、被害妄想ではなく腹黒い思惑からそう主張している人々もいる。国民の被害妄想を利用して権力にしがみつこうとしている政治家たちである。同じような政治家たちはもちろんアメリカにも多数存在する。
本作品の教授は、家族を統べる政治家の役割である。普段は難解な言説を駆使して学生たちを煙に巻いているが、本当は物事の本質がよくわかっていない。そんな政治家が暴走するとどうなるのか、それをコメディタッチで描いてみせたのが本作品だ。長女(国民)から突き上げられて仕方なく夜に医者に電話する教授(政治家)のシーンは笑えたが、この図式を理解すると笑えない。
アメリカという正常性バイアスの国がひとたび疑心暗鬼にとらわれ、被害妄想を膨張させるとどうなるか。その代表がベトナム戦争だ。本作品の時代よりあとでは、湾岸戦争やイラク戦争が起きた。その他にも、米軍はアフガニスタンやソマリア、コソボ、ハイチ、リビアなどに介入している。日本も、アメリカと同じ過ちを犯さないとも限らない。キシダメ政権はトチ狂って安保関連文書を閣議決定しているから、既にはじめていると言っても過言ではない。
本作品は国民と政治家の本質を、教授一家を象徴にして鋭くえぐってみせた。そういうふうに捉えると、すべてのシーンに納得がいく。なかなか理解し難い部分もあるかもしれないが、敢えてそこを解説しないところに映画人としての矜持があると思う。映画は公開されれば観客のものだ。好きなように考えればいい。
なかなか挑戦的な作品である。