映画「マッドゴッド」を観た。
12/2(Fri)公開『マッドゴッド』公式サイト。
12/2(Fri)公開『マッドゴッド』公式サイト。制作年数30年、特殊効果の神フィル・ティペットによる執念と狂気の奇跡のストップモーションアニメ。地獄のディストピアを巡るダ...
12/2(Fri)公開『マッドゴッド』公式サイト
狂っている。何が狂っているかというと、それは人類だ。人類の歴史は戦争の歴史であり、拷問と虐殺の歴史であり、支配と服従の歴史である。食糧の奪い合いからはじまって、土地の奪い合い、金銀財宝の奪い合い、軍事技術の奪い合いまで、人類は何でも奪い合ってきた。徒党を組んで仲間を増やし、支配地域を広げて勢力を伸ばす。共同体を形成して、ときには他の共同体との戦争も辞さない。その一方では、仲間内での権力闘争にも余念がない。
本作品は欲望や憎悪、サディズム、盲信、弱肉強食といったイメージをむき出しに羅列する。エグい表現やゴア描写もたくさん出てくるが、不思議に嫌悪感はない。どこかしら哲学的なのだ。
人類の不幸の歴史を背負った軍人が地底を探索するような物語で、百戦錬磨の彼は、未知の状況を分析し、対策を考え、進むべき道を見つけていく。観客には彼の目的も、物語の背景も何も分からないまま、映画はどんどん進んでゆく。唐突に登場した生き物たちが型破りすぎる行動をするから、ただカオスの中に放り出されたような感覚だ。しかし映画のタイトルを反芻してみると、本作品の混沌としたイメージは、人類の歴史そのものではないかと、ふと我に返る。
狂っているのは人類だけではない。神も狂っている。テクノロジーも何もかもが狂っている。もしかすると狂っていたというべきなのかもしれない。それはもはや過去形だと言えるのではないか。
いや、そうではない。地底ではより先鋭化した狂気が、時間を超越して続いているのだ。地底とはどこか。それはもうわかっている。現代人の潜在意識だ。人類がこれほどの不幸を重ねてきても、なお現代人の心の奥には、欲望と憎悪と盲信と被害妄想が地獄の炎のように燃え盛っている。
本作品は、ダンテの「神曲」のようでもあり、新約聖書の「ヨハネ黙示録」のようでもある。序盤に登場する円錐型の塔は、旧約聖書の「バベルの塔」のようだった。エンドロールを眺めながら、繰り広げられた豊富なイメージのすべてが、人類の究極の不幸に向けて坂道を転げ落ちているような、漠然とした不安に襲われた。傑作だと思う。