映画「ノートルダム 炎の大聖堂」を観た。
この3月に観た「エッフェル塔〜創造者の愛〜」の中で、エッフェル塔の高さについて、ノートルダム寺院より高いのはけしからんという意見があったことが紹介されていた。本作品の序盤で鳥瞰のシーンがあって、そこにエッフェル塔が映っている。感慨深いものがあった。
火災の原因は禁煙場所での喫煙か、それとも電気系統のショートサーキットか、いまも不明のままであるが、スプリンクラーの不設置や、警報装置が屡々誤報を発していたことなど、メンテナンスの不備も火災の一因だろう。世界的な観光名所だから、管理も万全でなければならないはずだが、どの世界でも正常性バイアスに由来する手抜きはある。
見どころはもちろん消火活動だが、聖なる遺物である「いばらの冠」の救出がどうなるかにも焦点が当てられている。現代のフランスは無宗教の人が約半数と、必ずしもキリスト教国とは呼べないが、それでも他人の信仰を否定することはない。ノートルダム寺院はキリスト教の財産であると同時に、国家の財産でもある。消防隊は人々の生命、身体と財産を守るのが仕事だ。
専門知識のないお偉方が現場に来るとろくなことはない。マクロンが現場に行ったのは人気取りだったのか、それとも演説逃れだったのか。いずれにしろ現場は対応に追われる。しかし大統領にしか承認権限のない活動もあり、マクロンは意外にちゃんとした役割を果たす。3年後に再選された遠因となった可能性もある。
消火の様子はとてもリアルだ。自分も消防士の一員になった気がして、炎の熱気や息苦しさを感じた気がした。どのシーンもそれほどよく出来ていたということだと思う。「呼吸を整えろ」という消防士ならではの号令には納得した。循環器系だけでなく精神状態も整える必要があるのだろう。訓練と実際は違う。現場でうまくいかないこともあるが、訓練していなければ何も出来ない。現場を重ねてプロフェッショナルになっていくのだ。
火災の現場は常に異なる。現場での臨機応変な対応と創意工夫が求められる。消防隊員の安全も確保しなければならない。消火のプロであっても、現場は危険に満ちている。油断は出来ない。
緊迫感で息もつけない展開が続き、終映時にはどっと疲れてしまった。とても面白かった。