映画「世界の終わりから」を観た。
村上春樹の小説「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を思い出した。タイトルの一部が共通しているだけでなく、作品としての味わいに似たところがある。村上春樹はその一冊しか読んでいないので、村上春樹と紀里谷和明監督の共通点については何も言えない。
すべての世界は結局は主観である。世界を感じるのは肉体の五感を通じてであり、感覚を他人と完全に共有することは出来ない。自分の世界が他人の世界と一致することはあり得ないのだ。自分と他人とは、違う世界を生きていると言っていい。人と人とが完全には相容れない理由がそこにある。
不幸な境遇、不遇な日常という人生が続いたら、誰でも世界を恨むだろう。社会や他人の価値観に押しつぶされて、自分など価値のない人間だと思ってしまう。しかしそうではないというのが、本作品の世界観だと思う。
ゴータマは生まれてすぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言ったとされている。仏教では違った解釈があるかもしれないが、当方の解釈は、誰でも生きているだけでその人格は尊重されなければならないという意味だと思っている。
ヒロインのシモンハナにはこの世界がどのように見えているのか。本作品には、ハナから見た世界をデフォルメして表現している側面もある。その世界は悪意と暴力に満ちている。権力者は人権を守ろうなどとは思っていないし、優しさは嗤いの的になる。底の浅い世界観がパラダイムとなってネットを駆け巡る。今だけ、カネだけ、自分だけ。
紀里谷監督の深い絶望から生み出された作品だが、絶望一辺倒ではない。現在までの人類は愚かしい歴史を刻んできたが、未来のどこかでは、愚かしさから脱却して優しさを獲得する時が来るかもしれないという、淡い希望がある。
途中、夏木マリの老婆の台詞が説明的すぎると思ったが、北村一輝の無限がそれを根底から打ち消す台詞を言う。このバランス感覚が、紀里谷監督の世界観の深さなのだろう。善も悪も均等に掘り下げていく。最後は繋がっているのかもしれない。
主演の伊東蒼はとてもよかった。ハナの役は物語を現実に引き戻して御伽噺にしない強さを持っていた。脇役陣もなべて好演。登場人物の言葉がよく心に響いてくる。それぞれの台詞の意味を考えながら鑑賞していると、スクリーンから片時も目が離せなくなり、あっという間に終映となった。秀作だと思う。