三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう」

2023年04月09日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう」(英題「What Do We See When We Look at the Sky?」)を観た。
映画『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』オフィシャルサイト

映画『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』オフィシャルサイト

4月7日(金)すれ違いから、始まる。ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿ピカデリー、アップリンク吉祥寺|ジョージアの美しい街で、偶然に出会った男と女。呪いによって外...

映画『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』オフィシャルサイト

 

 おそらくジョージア国民が鑑賞したら面白い作品なのかもしれない。多分流れる時間が日本人と違うのだ。ずっと間延びした描写が延々と続くので、かなり飽きる。オルガンのBGMで長々とドアを映すシーンに何の意味があるのか、理解できなかった。そういうシーンがかなりある。すべて省略して、俳句みたいに引き算の編集をしたら、多分1時間ちょっとで収まる作品だと思う。


 日常を舞台にしたファンタジー作品ではあるのだが、ファンタジーなら不思議な現象が起きるのは当然で、理由などなくていい。にもかかわらず、ラストシーンで言い訳を並べ立てたのには呆れてしまった。「前置きが長くてすみません」と言いながら延々と前置きを喋るオッサンのスピーチみたいだ。中身がない。
 映画製作部隊が登場した時点で、展開は誰の目にも明らかになる。そうなるんだろうなと思った通りに進んでいくのだが、なにせ寄り道が多くて長い。ジョージアの風景の美しさは分かるし、英題を直訳した「空を見ると、何が見えますか?」という問いも分からなくはない。しかし街の階段や道路や川の堤防などの様子を見ると、経済的には豊かでないことも分かってしまう。
 経済だけではない。町中の人がサッカーのワールドカップに熱中しているのは、画一的な精神性であり、精神的にも豊かになっていないことが分かる。豊かさは多様性にある。画一的な社会は決して豊かではない。それは戦前の日本社会と同じで、差別と排除の温床である。
 しかし本作品は街中がサッカーに熱中することを肯定的に描いている。そのあたりにも違和感があった。祖母のレシピの料理を披露するシーンはよかったが、全体としては、まとまりのない稚拙な童話を、大げさなBGMと動きのない風景のシーンで冗長に披露したような作品だった。

映画「仕掛人・藤枝梅安 第二作」

2023年04月09日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「仕掛人・藤枝梅安 第二作」を観た。

映画「仕掛人・藤枝梅安」公式サイト

映画「仕掛人・藤枝梅安」公式サイト

池波正太郎生誕100年豊川悦司主演映画「仕掛人・藤枝梅安」二部作2023年2月3日・4月7日連続公開

映画「仕掛人・藤枝梅安」公式サイト

 

 2月に先立って公開された第一作に続いて、期待通りの面白さだった。
 本作品は時代劇としては斬新でスタイリッシュだ。出会いも別れもあっさりしたもので、とてもリアルである。そこには他人に何も求めない諦観がある。人に何も期待しなければ、別れに笑顔も涙もいらないのだ。
 リアルと言えば、梅安や彦治郎はどちらかというと闇討ちタイプだから、正面からの戦闘は向いていない。刀を持った侍に対しても人間離れした強さを発揮したらドッチラケのところだが、本作品はそんな野暮なことはしない。仕掛人は人間であって、スーパーマンではない。
 今回の仕掛は彦次郎の都合と梅安自身の過去が絡まった立体的な人間関係になっている。そこに本作品の見どころがある。佐藤浩市は流石の存在感で、虚しい人生をさまよう孤独な侍を演じた。

 菅野美穂のおもんの表情がいい。現代社会ではNGワードかもしれないが、女の優しさというものがある。梅安が気に入るのも当然だ。高畑淳子のおせきやでんでんの患者など、素朴で欲の浅い庶民らしさを漂わせている人々のことも、梅安は大切にしている。医者は患者に希望を与える職業だ。今日死んでしまうかもしれなくても、おせきに「明日も頼む」と声をかけたのは、梅安の優しさである。このシーンは素晴らしい。
 椎名桔平は白昼堂々と強盗を働く極悪人を存分に演じたが、そんな人間にも、奈良で不自由なく暮らす双子の兄への嫉妬と憎悪という複雑な心理がある。その兄の複雑な心境をふとした表情で上手に表現していて、俳優としてのポテンシャルの高さを見せている。

 今回も彦次郎との絶妙なパートナーシップで修羅場をくぐり抜けていく梅安だが、その恬淡とした人生観には感服する。作品がスタイリッシュなのは、梅安の潔い生き方に由来するのだろう。演じたトヨエツも見事だった。


映画「Knock ノック 終末の訪問者」

2023年04月09日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Knock ノック 終末の訪問者」を観た。
映画『ノック 終末の訪問者』

映画『ノック 終末の訪問者』

『シックス・センス』『オールド』をはじめ、数々の大ヒットスリラー作品を生み出してきた鬼才M.ナイト・シャマラン監督最新作。作家ポール・トレンブレイの全米ベストセラ...

映画『ノック 終末の訪問者』

 新約聖書の「ヨハネ黙示録」の第七章から第九章を要約してみると、第七章には、地と海を損なう権威を授かった四人の御使いが世界の四隅に立っていると書かれている。第八章には、子羊が第七の封印を解くと、七つのラッパを持った七人の御使いが現れて、第一から第四までの御使いが順にラッパを吹き、災いがもたらされたとある。第九章には、第五の御使いがラッパを吹くと、ひとつの星が天から落ちて災いをもたらし、第六の御使いがラッパを吹くと、四人の御使いが人間の三分の一を殺すために解き放たれたと書かれている。

 本作品は予告編も観ずに鑑賞したが、はじまってしばらくすると「黙示録」に関係のある話なんだろうなと見当がついた。しかしそれにしてはちょっとおかしい。「黙示録」には人間の三分の一を殺すとは書かれていたが、人類を皆殺しにするとは書かれていなかったし、マタイ福音書には「私は生贄を求めない」と書かれている。何か変だ。
 結局、最後まで何か変だという感覚は消えず、納得がいかないまま終わってしまった。シャマラン監督の作品は前作「Old」もそうだったが、ディテールがいい加減でご都合主義なところがある。新約聖書の解釈が一番のご都合主義だが、それ以外にも、学校の教師が入れ墨だらけの大男だったり、護身用の拳銃が車に置きっぱなしで弾が込められていなかったりする。そもそもどうしてこの山小屋をノックしたのか、その理由もわからない。結末ありきでストーリーやディテールを強引に合わせたみたいだ。お陰で映画としてのリアリティを損ねてしまった。
 それでその結末が感動的かというと、まったくそんなことはない。クリスチャンのヒステリーみたいな作品だ。強引に深読みすれば、世界の平和や地球の未来を人質にして国民に我慢を強いている政治家を揶揄しているという可能性はある。しかし本作品を観ただけでそんな風に受け取るのは至難の技だ。どのシーンにも権力者への批判的なスタンスはない。それどころか、作品作りの動機さえ見えてこない。失礼だが、単に売れる作品が作りたかっただけではなかろうか。「Old」と同じように、シチュエーションのアイデアだけに頼った失敗作だと考えていいだろう。

映画「オオカミ狩り」

2023年04月09日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「オオカミ狩り」を観た。
映画『オオカミ狩り』オフィシャルサイト

映画『オオカミ狩り』オフィシャルサイト

2023年4月7日(金)新宿バルト9ほか全国公開|ソ・イングク主演最新作!極悪犯罪者VS警察VS怪人 生死を掛けた海上監獄バトルロイヤルがいま、始まる。

映画『オオカミ狩り』オフィシャルサイト

 面白かった。登場人物の殆どは悪人で、盲目的な役人や、職務にテキトーな刑事たちが間を埋めている。昭和の日本映画みたいな権威主義やパターナリズムが見受けられるのは、暴力に直結する精神性だからだろう。ゴア描写満載のサバイバルアクションだが、生き延びようとするエネルギーが、作品を人間ドラマにしている。

 巨大な輸送船が舞台で、警察の隊長の「ここには人権なんてものはない」という言葉の通り、人の尊厳など無視され、力関係は腕力に由来する。暴力と暴力のぶつかり合いは、より残忍な方が勝つことになる。無駄な間を排除したスピーディなアクションシーンは迫力十分で、それだけでも本作品を観る価値がある。中途半端な暴力シーンは好きではないが、ここまで振り切っていれば、むしろ爽快だ。

 予備知識は何もなかったが、過去が見える能力の登場人物がいたりして、作品の中で徐々に設定が明らかになる。このあたりの演出や構成は見事だ。それでも謎は残っていて、ラストシーンの余韻は、続編でその謎に挑む予感に満ちている。続編は必ずあると思う。かなり楽しみだ。