映画「ヴィレッジ」を観た。
綾野剛と佐藤浩市がダブル主演した瀬々敬久監督の「楽園」に似た作品だ。同じように「ムラ社会」を扱っている。「楽園」が余所者が主人公だったのに対して、本作品はムラで生まれ育ったユウが主人公である。必然的に前者はムラから排斥され、後者はムラに取り込まれる。
瀬々監督が主人公を愛情とシンパシーで作り上げるのに対して、藤井道人監督は、主人公でさえも徹底的に突き放すことがある。本作品のユウもミサキも例外ではない。
藤井監督の作品はこれまで「デイアンドナイト」「新聞記者」「宇宙でいちばんあかるい屋根」「ヤクザと家族 The Family」「余命10年」などを鑑賞した。主人公の気持ちに寄り添った優しい作品と、登場人物の全員を突き放したような冷徹な作品とに分かれる気がする。藤井監督なりに、自分自身の精神バランスを取っているのかもしれない。本作品は冷徹な方の作品だ。
共同体は弱い人間に冷たい。大抵の共同体では、道理が引っ込んで無理が通っている。力のある者、カネのある者が強く、カネも力もない人間は、一方的に搾取される。それが嫌ならどこかで立ち上がるか、共同体を去って他の共同体で生きるしかない。
最悪なのは、立ち上がりも立ち去りもせず、強い者、カネのある者に取り入って、同じ側に立ってしまうことだ。弱い人間が弱いなりに生きている間はまだ救いがあったかもしれない。しかしカネのために魂を売った途端に、これまで自分を虐めてきた人間の側に立ってしまう。救いはない。
勇気を出すなら、ずっと前に出すべきだった。しかしそんなことは傍から見ている人間の勝手な言い草だ。共同体の中にいる間は、強い者に逆らえない。そういう理不尽が、世界中の共同体で歴史的に蔓延ってきたのだ。弱い人間は打ちのめされて、失意のうちに死んでいく。
しかし最近は不条理でない共同体や組織も増えてきた。または理不尽なところがあれば是正しようとする傾向も増えてきたと思う。与党の政治家は相変わらず利権政治で強い者の味方だが、民間企業や地方公共団体の中には、弱い人間でも生きていけるところがある。ブラック企業やブラックな共同体やブラックな部活、ブラックな学校からは早く逃げて、ブラックでない場所に行くのがいい。逃げるのは決して恥ではない。
逃げ遅れると、本作品のような不幸が待っている。ユウがいみじくも「ゴミ」と言ったような人間が統治する共同体は、自浄作用がなく、遅かれ早かれ破綻する。日本という国家もその例外ではないかもしれない。