映画「風よあらしよ劇場版」を観た。
平塚らいてうについては、2019年の二兎社の公演「私たちは何も知らない」を観劇して、朝倉あきの名演が印象に残っている。女の独立と平等を主張する一方で、恋をし、女の性欲を語り、人を思いやるニュートラルで深い精神性が素晴らしいと思った。その芝居で藤野涼子が演じたのが伊藤野枝で、東京に出てきた田舎娘が、持ち前の独立心で突き進んでいく役柄だったと記憶している。
本作品はその伊藤野枝が主人公だ。自分の本名がノヱだからかもしれないが、ときとして口遊むのが「ノーエ節」である。「富士の白雪ゃノーエ」ではじまり「島田は情にとける」で終わる歌詞で、途中に「三島女郎衆」という単語もでてくる。女性解放を訴えた伊藤野枝が歌うのは皮肉な話だ。伊藤野枝を揶揄するのに「ノーエ節」の替え歌が歌われたという話もある。どこまでも弱者に厳しい社会なのは、今も昔も変わらない。
吉高由里子は、17歳から28歳までの伊藤野枝を好演。幼さの残る女学生時代から、覚悟を決めた執筆生活まで、年令を重ねていく野枝を、ちょっとした表情や仕種で見事に演じ分けてみせた。たいしたものだ。
伊藤野枝は、日本の軍国主義、全体主義、国家主義、権威主義に真っ向から反対した。信念の人である。立場の弱い人の立場を向上させるのが理想で、女性解放はその中のひとつだった。立場が弱くても強く生きることはできる。それは非常に難しいことだが、精神的な強さが抜きん出ていた野枝には可能だった。
本作品で紹介される野枝の言葉の中で、ハイライトは、内務大臣の後藤新平に宛てた手紙だと思う。文言は多少変更されているようだったが、大意は次のとおりだ。
国家権力を笠に着るあなたがたは、私より、弱い。
驚異的な精神力で悲壮な人生を生き抜いた、伊藤野枝の面目躍如である。これほど真っすぐで、強くて、正しい女性は他に例を見ない。日本の近代史上、稀有の女性だが、彼女があまり知られていないのは、学校の歴史の授業で近代史をほとんど扱わないからだ。大杉栄のことも知らない人がたくさんいる。権力者にとって、知られては困る人たちなのだろう。
今も昔も、権力者は都合の悪いことは知らせない。だから映画や文学や漫画が代わって知らせるしかない。とても意義のある作品である。
今も昔も、権力者は都合の悪いことは知らせない。だから映画や文学や漫画が代わって知らせるしかない。とても意義のある作品である。