三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「風よあらしよ劇場版」

2024年02月11日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「風よあらしよ劇場版」を観た。
映画『風よ あらしよ 劇場版』公式サイト

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主演 吉高由里子 100年前、自由を求め闘った一人の女性の生涯 2024年2月9日(金)新宿ピカデリーほか全国順次公開

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 平塚らいてうについては、2019年の二兎社の公演「私たちは何も知らない」を観劇して、朝倉あきの名演が印象に残っている。女の独立と平等を主張する一方で、恋をし、女の性欲を語り、人を思いやるニュートラルで深い精神性が素晴らしいと思った。その芝居で藤野涼子が演じたのが伊藤野枝で、東京に出てきた田舎娘が、持ち前の独立心で突き進んでいく役柄だったと記憶している。
 本作品はその伊藤野枝が主人公だ。自分の本名がノヱだからかもしれないが、ときとして口遊むのが「ノーエ節」である。「富士の白雪ゃノーエ」ではじまり「島田は情にとける」で終わる歌詞で、途中に「三島女郎衆」という単語もでてくる。女性解放を訴えた伊藤野枝が歌うのは皮肉な話だ。伊藤野枝を揶揄するのに「ノーエ節」の替え歌が歌われたという話もある。どこまでも弱者に厳しい社会なのは、今も昔も変わらない。
 
 吉高由里子は、17歳から28歳までの伊藤野枝を好演。幼さの残る女学生時代から、覚悟を決めた執筆生活まで、年令を重ねていく野枝を、ちょっとした表情や仕種で見事に演じ分けてみせた。たいしたものだ。
 
 伊藤野枝は、日本の軍国主義、全体主義、国家主義、権威主義に真っ向から反対した。信念の人である。立場の弱い人の立場を向上させるのが理想で、女性解放はその中のひとつだった。立場が弱くても強く生きることはできる。それは非常に難しいことだが、精神的な強さが抜きん出ていた野枝には可能だった。
 本作品で紹介される野枝の言葉の中で、ハイライトは、内務大臣の後藤新平に宛てた手紙だと思う。文言は多少変更されているようだったが、大意は次のとおりだ。
 
 国家権力を笠に着るあなたがたは、私より、弱い。
 
 驚異的な精神力で悲壮な人生を生き抜いた、伊藤野枝の面目躍如である。これほど真っすぐで、強くて、正しい女性は他に例を見ない。日本の近代史上、稀有の女性だが、彼女があまり知られていないのは、学校の歴史の授業で近代史をほとんど扱わないからだ。大杉栄のことも知らない人がたくさんいる。権力者にとって、知られては困る人たちなのだろう。
 今も昔も、権力者は都合の悪いことは知らせない。だから映画や文学や漫画が代わって知らせるしかない。とても意義のある作品である。

映画「身代わり忠臣蔵」

2024年02月11日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「身代わり忠臣蔵」を観た。
映画『身代わり忠臣蔵』公式サイト

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痛快時代劇エンターテイメント!!絶体絶命の“身代わりミッション”、いざご開帖!映画『身代わり忠臣蔵』大ヒット上映中!

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 テレビドラマ「セクシー田中さん」の原作者の自殺は、映画人にも衝撃を与えたと思う。視聴率至上主義が原作を軽んじてしまった構図だが、映画でも同じようなことは起こり得る。台詞は変えても、原作の世界観はあくまで尊重しなければならないということなのか。
 しかしドラマにしても映画にしても、たくさんの人が関わって製作されるものだ。脚本家の想像力、演出家の想像力、俳優のアドリブやカメラワークや劇伴など、人々の想像力がぶつかりあう。昇華の仕方によっては原作を超える名作にもなるだろうし、原作に遠く及ばない凡作になることもあるだろう。
 小説にしても、漫画にしても、ひとたび作品として発表したら、原作者の手を離れて、独り歩きするものだ。原作と似ても似つかぬ映画やドラマになったとしても、それはそれで受け入れるしかない。観客や視聴者は、原作と違う作品だとわかって観ている。
 原作者の意向に厳密に従わなければならないとしたら、映像作品の関係者の想像力は、どうしても縮こまってしまう。原作の使用を許可して対価を受け取ったら、原作者は一歩引いたほうがいい。世界観が異なっても、原作とは別のものだとして、むしろひとりの視聴者や観客として作品を楽しむ余裕がほしい。「セクシー田中さん」はドラマとして面白かっただけに、原作者の自殺は残念だ。この事件によって、映画やドラマに制限がかかることがないように願う。
 
 さて、本作品は原作者が脚本を書いているから、原作との乖離はそれほど心配しなくてよさそうだ。コメディだから、漫才のネタのように、どのように演じるかによって面白くもつまらなくもなる。その点、ムロツヨシをはじめとする俳優陣の演技は見事で、笑わせてくれるし、ホロリともさせてくれる。
 
 吉良上野介については、実は悪いやつではなかったのではないかという考証がある。大谷亮介が吉良上野介を演じた舞台「イヌの仇討ち」でも、これまでの通説だった悪人とは違う吉良上野介像が紹介されていた。井上ひさしの戯曲を舞台にするこまつ座の公演で、2017年に観劇した。井上ひさしらしく、お笑いがふんだんに盛り込まれて笑える場面が多い一方、言葉のやり取りだけでみるみる真実に迫ってゆく芝居に、思わず息を飲んだ記憶がある。
 
 本作品でムロツヨシが演じた主人公の名前が字幕で「孝証」と紹介されて、意図的に「考証」と似た名前にしたのだろうとすぐに思った。ネーミングからして、すでにコメディだ。最後は少しフザケすぎの感はあったが、これはこれで悪くない。
 無理のないストーリーで、林遣都、寛一郎、森崎ウィンといったクソ真面目組がコメディの下地を作っていた。悪役は柄本明がひとりで引き受ける形だが、さすがの存在感である。面白かった。