三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「フィリップ」

2024年06月22日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「フィリップ」を観た。
映画『フィリップ』オフィシャルサイト

映画『フィリップ』オフィシャルサイト

発禁処分後60年!衝撃の映画化!孤高のユダヤ人青年が、ナチス女性との禁断の愛に心引き裂かれる愛と再生の物語

映画『フィリップ』オフィシャルサイト

 昔の娼婦は客とキスをしなかったという話を聞いたことがある。映画「プリティ・ウーマン」でも、ジュリア・ロバーツの台詞にそんな文言があった。愛のあるセックスと愛のないセックスなのだろうか。
 本作品のフィリップも、挿入している最中に、女がキスを求めてくるのに対して、その口を手で塞いでしまう。それは自分の情が移ることよりも、女の情が自分に移ることを避けているのかもしれない。俺は男娼じゃないという台詞は、お前は娼婦だという侮蔑の裏返しだろう。このセックスは愛ではなくて欲望なのだと、そういう意味だ。

 恋人サラとやたらにキスをしていたフィリップだが、ナチに家族とサラを殺されたあとは、誰ともキスをしていない。しかし知的な女性リザには、思わずキスをしてしまう。観客はフィリップが恋に落ちたことを理解する。
 百戦錬磨のフィリップだ。様々な言葉と態度で、リザを揺さぶり、翻弄する。うぶなリザはたちまち恋に落ちる。

 舞台は1943年のフランクフルト。戦時下の恋だ。ナチスの差別と権威主義と暴力と弾圧、要するにヒトラーの狂気がヨーロッパの人権を蹂躙する。恋を成就させるには、逃げるしかない。
 生き延びるために出自を隠し、狂気にへつらう。ひたすら耐えてきたフィリップだが、耐え難い出来事が起こってしまう。フィリップは恋とリザの安全を天秤にかけた。

 恋と戦争のテーマは昔からある。しかしフィリップのような立ち位置の主人公は、とてもユニークだ。あっさりとしたラストだが、濃い余韻が残る。

映画「違国日記」

2024年06月22日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「違国日記」を観た。
映画『違国日記』|大ヒット上映中

映画『違国日記』|大ヒット上映中

映画『違国日記』公式サイト

映画『違国日記』|大ヒット上映中

 人間関係におけるパターナリズムは、立場の強い人間が、お前のためだと言って立場の弱い人間に強制したり介入したりすることだ。かつてのスポ根ドラマで、指導教官や監督が生徒を殴ったり、丸坊主にしたりするのは、独善と権威主義のハイブリッドで、非常にたちの悪い精神性である。「その口の利き方はなんだ」と怒鳴るのは、自分が上で相手が下だという上下関係の意識、つまり権威主義が根底にある。

 ただ、親子の関係は、もっと複雑になる。親には子供の安全や健康を守る義務、成長させる義務、教育を受けさせる義務などが課せられている。過保護からネグレクトまで、親の態度の振り幅はかなり広い。
 つまり親は、パターナリズムに陥らないように自省しながら、子供の行動を制限したり、ときには強制しつつ、一方では親としての義務を果たさなければならず、そのバランスが難しい。

 パターナリズムの被害に遭った人は、たくさんいると思う。被害を与えた側は忘れてしまうことがあっても、受けた側は決して忘れない。パターナリズムに遭った経験は、人格の危機である。決して許すことはできない。
 新垣結衣が演じたマキオがパターナリズムの被害を忘れず、決して許さないのは当然だ。独善主義の権威主義者は、自身の人格が破綻していることに気づかないまま、他人の人格を壊そうとする。ヒトラーも東條英機も安倍晋三もそうだった。なるべく関わらないほうがいい人物であり、決して共同体の指導者にしてはいけない人物だが、いかんせん、こういう人物は世に溢れている。常に見極めることが大事で、マキオが嫌悪し続けたように、我々もそういう人物を嫌悪しつづける必要がある。いちばん大事な教育は、パターナリズムに負けない精神性を教えることだ。

 マキオはアサに上手に伝えることが出来たと思う。アサはまだ理解できないが、言葉は覚えているだろう。いつかパターナリズムの被害に遭いそうになったとき、マキオの言葉を思い出して、危機を回避できるかもしれない。

 アサの子供っぽいこだわりを聞いて、マキオは「面倒くさ」と吐き捨てる。子供ながらの独善を本人に気づかせると同時に、ひと言で否定してみせる。アサは他人の人権を意識しはじめる。別の言い方をすれば、思いやりを知ることができた。パターナリズムの母親から自由人のマキオに保護者が変わったことで、アサの人生が変わったのである。
 では、マキオの方はどうか。夏帆が演じた友人は「エポックだね」と言う。フランス語で時代とか、変わり目を意味する言葉だ。ベル・エポックというと、いい時代ということになる。同じ名前の美味しいシャンパンがある。ヘミングウェイとダリがパリにいた時代も、そう呼ばれる。アサとの暮らしは、マキオにとってもベル・エポックとなったはずだ。

 ところで、新垣結衣の箸の使い方がとても美しいことに気づいた人は多いと思う。箸は正しい持ち方をすることで、効率よく使うことができる。言葉も同じだ。マキオの言葉からは独善が排除され、思いやりと率直さがある。晴れやかな映画だった。

映画「蛇の道」

2024年06月22日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「蛇の道」を観た。
映画.com - 映画のことなら映画.com

映画.com - 映画のことなら映画.com

最新映画情報、必見特集、ランキング、ユーザーみんなが評価できる映画レビュー、映画評論、映画ニュース、独占試写会、映画館検索、プレゼントも沢山

映画.com

 柴咲コウが演じる精神科医の真意がどこにあるのか、あれこれ考えながら鑑賞することになる。もしかしたら、異国で精神のバランスを保つために、見境なく人を殺すシリアルキラーなのか、そのために患者の復讐に手を貸したのか、などと考えもした。終盤で真相が明らかになってくると、その推理も、強ち間違いではなかったことがわかる。

 本作品のいくつかの特徴は、黒沢清監督の過去の作品に通じるところがある。
 絶対的な悪意は「クリーピー 偽りの隣人」(2016年)
 ある意味、奇想天外なストーリーは「散歩する侵略者」(2017年)
 異国文化との微妙なふれあいは「旅のおわり世界のはじまり」(2019年)
 主人公の思惑が最終盤まで明らかにならないところは「スパイの妻」(2020年)

 考えてみれば、本作品は1998年の第一作目の「蛇の道」のリメイクだ。黒澤監督の世界観やら映画の手法やら、いろいろな要素が詰まっているのは当然のことだが、その詰まり具合が丁度よくて、物語の進行を邪魔しない程度に世界が膨らむ。

 柴咲コウはすっかり中性的な感じになった。美人がコケットリーを削ぎ落とすと、近寄りがたい孤高の存在になる。主人公サヨコの精神性は如何なるものか。黒沢監督は、本作品では人間の心の闇に踏み込もうとしている。覗きたい気もするが、恐ろしくもある。