三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「ナイトスイム」

2024年06月08日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ナイトスイム」を観た。

 井戸はホラー作品によく登場する。その底に何かがいるのではないかという不安もあるだろうが、それ以上に、井戸は枯れるまでの間は水を湛えていることから、井戸が地下で別の世界と繋がっているのではないかという感覚がある気がする。
 本作品はまさにその感覚に訴えてくる。空間だけではなく、時間的な繋がりにまで広がっていき、プールの場所の変遷の中に、人の怨念やら悪魔の怒りや施しやらを盛り込む。因果関係をはっきりさせるタイプのホラー作品で、夫がプールにこだわる理由も用意している。

 アンジェリーナ・ジョリーが主演した映画「トゥームレイダー」は、元々がビデオゲームで、当方もプレイしたことがある。画面が見にくくて、最初はどこに行けば道が開けるのか、さっぱりわからず、何度もゲームオーバーになった。だんだん慣れてきて、画面の微妙な違いに突破口があるのが分かってくる。
 しかし、いざ突破した先には、強敵だったり罠だったり、困難な道が待っている。中でも水の中を泳いで出口を見つけるのが、兎に角大変だった。息には限りがあるし、どこを泳いでいるのか分からないし、途中で息継ぎの場所があるのに気づいたのは、もう何回も死んだあとだった。
 ということで、本作品を観て真っ先に思い出したのが、ビデオゲームの方の「トゥームレイダー」だという訳だ。水の中を泳いでいくエリアの苦しさと困難の感覚が蘇った。

 水というのは人体に必要不可欠だが、人間は肺呼吸で、水中に潜れる時間は限られている。水の中は人間にとって危険な場所のひとつだ。一方で、シャチみたいに自由に水の中を泳げれば気持ちがいいだろうと思う。鳥のように空を飛べたらと思うのと同じである。だから水中の世界は、ホラーにもなれば、ファンタジーにもなる。

 本作品では、水が闇に通じていて、プールの水もグラスの水も、闇の出入口だ。闇は得体が知れず、何が潜んでいるかわからない。水と同じように日常的に恐怖が存在している。そういう感覚にさせることが、本作品の一番のポイントだろう。じんわりとした怖さがあった。

映画「明日を綴る写真館」

2024年06月08日 | 映画・舞台・コンサート

映画「明日を綴る写真館」を観た。
https://ashita-shashinkan-movie.asmik-ace.co.jp/

 脇役で豪華な俳優陣が登場するのは、平泉成の人脈と人徳だろうと感心したが、キャリア初の主演映画にしては、役柄が平凡だし、キャラクターの掘り下げも少ない。相手役である若いカメラマンの五十嵐の方は、その来し方を詳しく紹介されていた。肝腎の写真館の主人にも、それなりの波乱万丈があったはずだが、過去は殆ど描かれず、どんな心境なのかがわからない。
 平泉成は脇役として長いから、もしかしたら主役然として自らの人生を表現するのが不得意なのだろうか、などとも考えたりした。それにしても、序盤で少しだけ登場する佐藤浩市でさえ、転勤が多くて苦労をかけた妻への愛を切々と伝えてくる。なのに主役の心のうちは、さっぱりわからない。
 物語としては、世俗の人々の群像劇みたいな人情噺で、悪い作品ではないのだが、平泉成の大活躍を期待していただけに、ちょっと不満が残る。でも、あんなもんか。平泉成らしいと言えば、らしい。

 本作品ではカメラマンという言葉を使っているが、巷ではこのところの風潮から、フォトグラファーと呼ばないといけないようだ。カメラ「マン」がよくないらしい。なんとも不自由な世の中になったものである。
 ACジャパンのテレビCMでは、日常のシーンを紹介して、その行動の主体が男女のいずれだと思ったか、バイアスではないかという問いかけをする。正義ぶっていて、鼻持ちならないCMである。こういう思考回路をよしとする風潮が世の中に支配的になると、ますます人間関係が希薄になり、ますます少子化が進むに違いない。本作品に出てくる「ウェディングドレスを着たい」という台詞も、そのうちNGになりそうな気がする。面倒くさい。

 人間は多かれ少なかれ、偏見やバイアスを持っている。それは個性でもあり、人格の構成要素でもある。物語で言えば、時代背景の表現でもある。だからこそなのだが、本作品の主人公はもっと偏屈で、平泉成がポテンシャルを最大限に発揮せざるを得ないような、難しいキャラクターであってほしかった。