三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「HOW TO BLOW UP A PIPELINE」

2024年06月16日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「HOW TO BLOW UP A PIPELINE」を観た。
映画『HOW TO BLOW UP』公式サイト

映画『HOW TO BLOW UP』公式サイト

『パラサイト半地下の家族』『燃ゆる女の肖&...

 

 かなり面白かった。石油パイプラインの爆破計画が着々と進む中で、参加者それぞれの事情が明かされていく。その展開が面白く、しかも緊迫感があって、物語に引き込まれていく。
 何の訓練も受けていない素人たちが、石油開発のせいで被害に遭ったり、政府と巨大資本の癒着に怒りを覚えたり、あるいは成り行きだったりという、いろんな理由で集まり、首謀者であるソチの計画を進めていく。
 それぞれに覚悟の度合いが違うし失敗もあるが、必死という点では一致している。みんなが一生懸命に役割を果たすことで、荒唐無稽に思われた計画が、現実性を帯びてくる。もしかしたら、本当に成功するのか。カネもない、技術もない、しかし考える時間だけはある。だったら、チャンスはある。
 
 素人たちの描写がリアルで、もしかしたら自分にも出来るのではないかと思わせるほどだ。本作品について、テロを助長するとFBIが警告を出したのも頷ける。作品の中でFBIがとんだ間抜け扱いをされているのも、警告を出した理由のひとつかもしれない。FBIも日本の警察と似たようなレベルで、市民の安全よりも警察の威信を大事にする。
 
 物語が進むにつれて、計画は徐々に明らかになっていくが、本当の目的と計画のコアな部分が明らかになるのは、最終盤である。ソチの頭のよさに、快哉を叫びたくなる。仲間に対して冷徹に見えたソチが、実は一番仲間の安全を考えていた訳だ。頭脳明晰な彼女にとっては、計画は爆破だけでなく、準備から後始末までのすべてが計画だったのだ。
 
 俳優陣はいずれも素晴らしく、土埃が眼前に漂ってくるような映像も見事だし、劇伴もいい。上映館が少ないのがもったいないと思えるほど、よく出来た作品である。

映画「左手に気をつけろ」

2024年06月16日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「左手に気をつけろ」を観た。
左手に気をつけろ : 作品情報 - 映画.com

左手に気をつけろ : 作品情報 - 映画.com

左手に気をつけろの作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。「人のセックスを笑うな」「ニシノユキヒコの恋と冒険」の井口奈己が監督・脚本・編集を手がけ、1...

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 犬笛は、特定の動物だけに聞こえる周波数を出す笛で、人間に聞こえず、目的の動物だけに聞
かせて、呼び寄せたり、指示をしたりする。
 本作品には、犬笛と似たような、こども警察を呼び寄せる笛が登場する。子供を殺すのが好きな人にとっては、魔法の道具だろう。鎌や斧、鉄筋といった武器を用意して笛を吹けば、親や保母といった責任者の管理から離脱した子供たちが集まってくる。殺し放題だ。
 そんな不埒な想像をしながら鑑賞したが、シリアルキラーは登場せず、子供たちは無傷でいられる。元々、ほのぼの、のんびりした作品で、コロナ禍が我々の日常に何をもたらしたのかを、象徴的な映像で問いかける。

 こども警察はマスク警察の比喩で、政府のプロパガンダに踊らされて、マスクをしていない他人を咎めた人々の愚かな姿である。
 日本の警察は一般に民事不介入を言い訳にして、ストーカーなどにも対応しなかった。被害が出たら、刑事事件として対応するという姿勢であり、ストーカー事件の場合は、被害が出たのはイコール被害者が殺されたという訳で、多くの場合、警察の無策が非難されている。
 マスク警察は、警察と逆で、被害がないのに相手を攻撃する。それもわからないでもない。自動車の無謀運転をする人間は大変危険であり、取り締まらなければならない。そのために道路交通法が定められている。しかしマスクをしない人間が危険かというと、それは一方的な思い込みに過ぎない。まだ何も断定されておらず、道路交通法のようなマスク義務法みたいな法律は存在しない。マスク警察には、他人を取り締まる根拠も権限もないのだ。

 こども警察の比喩は、マスク警察にとどまらず、不倫警察やヘイトにまで及んでいると思う。他人の不倫を咎めたり、税金で補助されている外国人や生活保護の受給者まで、攻撃の対象にしてしまう、世間という怪物が、我々の日常から自由を奪おうとしている訳だ。
 LGBTだけでなく、特定の特徴を持つ人々をカテゴライズし、差別する風潮に対して、危機感を示しているのが本作品である。
 このところ、なんとなく世の中が不自由になっていると、じわじわと感じている人もいるだろう。被害を受けてもいないのに他人を非難したり、誹謗中傷の罵詈讒謗を浴びせかけるネット住民や、立場の弱い店員などに対して怒鳴り散らす高齢者の姿をときどき見かける。権威主義のパラダイムは、全体主義に直結するものだ。本作品は、戦争前夜みたいな嫌な予感を、穏やかな物語にしてみせたものだと思う。

映画「だれかが歌ってる」

2024年06月16日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「だれかが歌ってる」を観た。
だれかが歌ってる : 作品情報 - 映画.com

だれかが歌ってる : 作品情報 - 映画.com

だれかが歌ってるの作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。「犬猫」「人のセックスを笑うな」などで知られる井口奈己監督が2019年に発表した30分の短編。い...

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 一年に一度「あの素晴しい歌をもう一度」と題したコンサートが東京で催されている。2019年は日本武道館で開催され、2020年はコロナ禍で中止、2021年からは東京国際フォーラムホールAで行なわれている。タイトルはもちろん「あの素晴しい愛をもう一度」という歌に因んでいる。北山修が作詞し、2009年に首吊り自殺した加藤和彦が作曲した昭和の曲だ。キーとなるフレーズは次の一節である。

 あの時同じ花を見て
 美しいと言った二人の
 心と心が今はもう通わない
 あの素晴しい愛をもう一度

 昭和の歌には、毎年同じ時期に同じ星を眺めようと約束したといった、情緒あふれる歌詞がある。携帯電話がなかった時代だからだろうか。ひとたび離れ離れになったら、たとえ同じ日本に生きていても、再び巡り合うのは難しい。

 本作品には、昭和の哀愁のようなものが感じられる。行き違い、すれ違い、そして誤解といった、人間関係の齟齬に対比して、同じハミングが聞こえる他人同士という共感の設定がある。今生の別れと再会というドラマを単純化して象徴化すると、こんな映像になるのかもしれない。
 出逢いと別れと、再びの出逢い、それに思いやり。同じ絵を見て感動する人は、同じ花を見て感動する人だ。感動の共有は、同じ時間と空間を生きているという共生感の共有でもある。一緒にいることが幸せ。スマホ世代の観客には、この世界観は伝わらないかもしれない。