映画「すばらしき世界」を観た。
昨秋に仲野太賀の主演映画を2本続けて鑑賞した。石井裕也監督の「生きちゃった」と佐藤快磨監督の「泣く子はいねぇが」である。演技は一風変わっていて、無表情というか、空虚な表情をすることが多い。文章では行間を読むという言い方をするが、仲野太賀の演技もそれと同じで、観客が心情を読み取らなければならない。
映画やドラマや芝居では人間は大げさな表情やリアクションをするが、実際は何があっても大抵は無表情である。何かに驚いたときに驚いた顔をする人はまずいない。異物を発見したり変な人を見かけたりしても、驚くより前に自分の安全を真っ先に考えるから、おのずから無表情になる。仲野太賀の演技は実はとてもリアルなのだ。本作品でもその演技が生かされていて、面と向かって非難されても電話でなじられても、たくさんの言い分を全部飲み込んだ無表情で通す。
本物のヤクザを扱った映画では今年(2021年)の1月19日公開の藤井道人監督「ヤクザと家族 The Family」があり、映画の後半では13年間の服役のあとのヤクザの生きづらさを描いていて、本作品と少し似たところがあった。ヤクザの兄貴分で出演していた北村有起哉が、本作品では親切な福祉担当者の役なのも面白い。主演の綾野剛の演技はとてもよかったが、本作品の役所広司が演じた三上正夫には本職のヤクザの凄みがあった。
半グレが幅を利かせてカタギはカタギで理不尽な差別をする。刑務所も酷かったが、娑婆に出ても世の中が酷いことには変わりはない。一匹狼の三上正夫はただ大人しくカタギで生きていきたいだけなのだが、世の中はどこまでも冷酷だ。街角で見かけたカツアゲの場面。糞チンピラども。三上正夫はそれを見逃す訳にはいかない。悪党を成敗するのだ。しかしそれが非難される。一本気な人間には生きづらい世の中だ。
出身地の福岡でもヤクザは警察に追い詰められている。極道にはもはや生きる場所がない。たとえ窮屈でも、カタギで生きていくしかない。非道な場面は見て見ぬ振りをし、同調圧力には従い、差別も我慢する。反社はいつまでも反社として見られるのだ。理不尽なことに対しても声を上げるのは厳禁である。何も見ない、何も聞かない、何も言わない。そうやって無為の人生をやり過ごす。空が広くたって、広いだけでは何の意味もない。三上の心を荒涼とした風が吹き過ぎる。
仲野太賀演じる津乃田が漸く表情を崩す場面が現れる。生きていてほしい。足を洗ったやくざ者。辛くても苦しくても生きていてほしい。三上の人生に意味はなかったかもしれない。しかし三上の人生は三上のものだ。誰にも何も言われたくはない。
冬の雪の中で出所して、今度こそはカタギになると誓い、秋になる頃には娑婆の知り合いも出来たし、身元引受人の先生はそんなに親切でもないが、応援はしてくれる。もしかしたらカタギで生きていけるかもしれない。男一匹、三上正夫。ここで生きる。秋だ。秋桜が、とても綺麗だ。