映画「痛くない死に方」を観た。
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本作品は東京23区内ではシネスイッチ銀座だけの上映である。女優の高橋惠子さん(旧:関根恵子)の夫でもある大御所の高橋伴明監督脚本作品としては淋しい限りだ。この劇場はいつも年配の観客が多いが、本作品はタイトルの効果もあってなのか、いつにもまして年配の客ばかりである。最近は年配というのがいくつを指すのかわからなくなるほど、還暦を過ぎたくらいでは全然若い人が多い。当方の両隣もおばあちゃんだったが、割と下品なジョークのシーンで大笑いしていた。まだまだ元気である。
本作品は終末医療を扱った作品である。痛くない自殺の仕方を紹介する映画ではないので、そのあたりを期待した方には残念だ。そもそも自殺する人は痛いとか痛くないとか考える前に自殺する訳で、痛くない自殺の仕方を考える人は自殺が目の前に迫っていない人である。ただ、そういう感じで将来自殺しようかなと考えている人は割と沢山いると思う。いわゆる自殺予備軍である。日本では毎日100人が自殺しているが、予備軍はその100倍はいると、当方は睨んでいる。それほどいまの日本には未来がないというか、不安しかない。
さて作品であるが、主人公河田医師役の柄本佑は、同じ医師の役で主演した「心の傷を癒やすということ劇場版」では心に揺らぎのない、人格的に出来上がった精神科医を演じたが、本作品では悩み続けている若手の在宅医を演じた。精神科医の役は安心して観ていられたが、今回は主人公と一緒になって悩むことが出来て、よかったと思う。
前半はきつかった。72歳の俳優下元史朗さんが演じたステージ4の肺癌患者井上敏夫さんを担当した河田医師は、病院のカルテを見て末期の肺癌だから痛みのケアをすればいいと安易に考えてしまう。しかし井上さんは河田が考えていたのとは違った苦しみ方をする。在宅医療で苦しんだのは患者の娘夫婦だが、苦しみ方が肺癌の苦しみ方と違っていることは分からない。対処ができるのは医師だけだったが、河田はマニュアル通りの対応をするだけで、個別の患者としての井上さんを見ようとしなかった。坂井真紀が熱演した娘の智美は、苦しみ抜いて死んでいった父の姿にやり切れない思いを禁じえない。何もしてくれなかった在宅医の河田を恨むよりも、河田を選んだ自分を悔やむ。そう告げられた河田は言葉を失う。
医師は感謝もされるが恨まれもする。因果な商売だ。しかし今回の河田は、恨まれるより前に、医師としての役割自体を否定されたのだ。父の死と終末医療にあなたは何の役にも立たなかった。河田はそのように突きつけられた思いをする。加えて妻からの最後通牒。生きるとは何か、人と人との繋がりとは何なのか。医師としても人間としても岐路に立たされた河田である。
後半は在宅医として先輩の長野医師に相談するところからはじまる。奥田瑛二が演じた長野医師は、大病院がいかに検査依存、カルテ依存かを指摘し、在宅医はそういう数値を見るのでなく、患者本人を見る、患者の人生を見るのだという。柄本佑の嫁(安藤サクラ)の父が奥田瑛二だから義父と娘婿とのやり取りは、互いに俳優としての緊張感に満ちているように見えて、微笑ましいシーンだった。長野医師の、溺れて死ぬ死に方と乾いて死ぬ死に方があるという考え方ははじめて聞いた。含蓄のある言い方だと思う。
終盤は医師としての河田の成長と、見本のような患者本田彰の生きざまと死にざまが上手に描かれて、人生が悲劇でもあり喜劇でもあるとしみじみ実感する。高橋伴明監督の肩の力の抜けた演出がリアリティを醸し出す。人生の匂いのようなものが感じられる作品である。
それにしても大谷直子さんは歳を取っても本当に綺麗だ。鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」のときも妖艶な美しさを存分に見せたが、本作品では年老いた夫を心から愛する妻がふと見せる表情の、ゾワッとするような美しさを見せていた。本当の美人とはこういう人のことを言うのだろう。
本田彰を演じた宇崎竜童は最近は役者として輝いていて、小栗旬と星野源が共演した「罪の声」でも重要な役どころを存在感たっぷりに演じていた。本作品では終末医療を受ける患者の死の恐怖とそれを自分で笑い飛ばしてみせる懐の深い人物を好演。真面目な酒を飲み、川柳で人生を笑い飛ばし、誠実な死を迎える。まさに「痛くない死に方」である。何度も観たくなる傑作だと思う。