三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「シャドー・ディール 武器ビジネスの闇」

2021年02月22日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「シャドー・ディール 武器ビジネスの闇」を観た。
 世界の戦争が終わらないのは、戦争を続けさせたい勢力がいて、それは主にアメリカの軍需産業だと思っていたし、戦争に関する映画のレビューで何度もそう書いた。本作品はその考えが間違っていなかったことを証明してくれた気がする。
 アメリカの軍需産業の市場規模は年間約70兆円である。米軍だけで購入するには多すぎる。武器商人は死の商人だ。紛争があればどこにでも売る。他人の死を商売にできるほど、地球の人口が多いということなのかもしれない。例えばアフガニスタンでは、1996年の人口が1840万人だったのに、同年から続くタリバンの支配の戦乱のもとで人口は右肩上がりに増加の一途をたどり、現在では3800万人を超えている。
 日本では自動小銃などを携えた男たちが街を歩けば、たちまち通報されて逮捕されるが、紛争地域はそうではない。その武器はどこから買うかというと、アメリカの軍需産業から購入するのだ。
 アメリカの軍需産業は歴代の政権を動かし続けている。ジョージ・ブッシュもバラク・オバマも世界の紛争地域から軍を引き上げることはなかった。ドナルド・トランプがアフガニスタンやイラクから駐留米軍を削減したのは、もしかしたら軍需産業からの献金が少なかったからかもしれない。税金を別に振り分ける業界からの献金が増加したためかもしれない。
 本作品で目新しかったのは、ドローンが既に武器となっているという指摘だ。映画「エンド・オブ・ステイツ」ではのっけから大統領がドローンで攻撃されるシーンがある。4つのプロペラがあるお馴染みのドローンだ。しかし4つのプロペラがあるタイプでなくても、無人の軍用機はドローンと呼ばれていて、20世紀末から既に実用化されている。武器を備えているから、衛星通信を利用してアメリカ本土から遠隔操縦し、地球の反対側にいるターゲットでも自由に殺すことができるのだ。
 アメリカの軍需産業はどこに向かおうとしているのか。おそらくその答えはない。哲学がないからだ。儲かればそれでいい。今後ドローンは精密化され、特定の個人をピンポイントで殺すことができるようになるだろう。操縦者はエアコンの効いた安全な場所にいるから、敵に狙われることもない。ビデオゲームのようにソファに座ったまま、画面に表示される敵を殲滅する。万が一敵から反撃されて撃墜されたら、別のドローンを飛ばせばいい。自分が傷つくことはないのだ。
 もしこういったドローンがテロリストに売り渡されたら、地球に安全な場所はなくなる。アルカイーダが購入したら、世界中の米大使館が狙われるだろう。北朝鮮が衛星の打ち上げ実験だと称しているミサイルの実験は、もしかしたら本当に衛星の打ち上げ実験かもしれない。自前の衛星を使ってドローンを飛ばすのだ。地球に安全な場所はなくなる。
 本作品の原題は「Shadow World」である。我々が日常的に目にしていない場所、空を飛び交う無数の人工衛星や、海面下を音もなく進む潜水艦、虫にしか見えない小さなドローンなど、既に危険はそこら中に張り巡らされている。軍需産業は恐ろしい。自制心も倫理感もなく武器を売りまくり、儲けのために政治も利用し、地政学的現実を分析して世界中に武器を売る。日本の軍需産業もそのうち、倫理感も節操もない政権を通じて他国に武器を売るかもしれない。いや、既に売っているかもしれない。その原資は我々の税金なのだ。

芝居「藪原検校」

2021年02月22日 | 映画・舞台・コンサート
 渋谷のパルコ劇場で芝居「藪原検校」を観た。休憩20分を入れて3時間10分の大作だ。
 案内役の川平慈英がほぼ出ずっぱりで、細かい解説の他に楽器も叩けば歌も歌う。これが面白おかしくて笑える。主演の市川猿之助をはじめ、役者陣は皆達者で、共演のV6三宅健は線の細い座頭の役を好演。松雪泰子は美しいお市を妖艶に演じる。天下の大悪党の話なのに、猿之助のおちゃらけた雰囲気がそこはかとない滑稽感を醸し出して、愉快な芝居となっている。楽しく観劇できるので日頃のストレス解消にぴったりの芝居である。

映画「ある人質 生還までの398日」

2021年02月22日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ある人質 生還までの398日」を観た。
 イスラム国についてはISやISILなど、いろいろな呼び方があるが、ここでは日本語表記のイスラム国と呼ぶことにする。
 ジャーナリストの後藤健二さんが湯川遥菜さんとともにイスラム国に拘束監禁されて10億円=約1000万ドルの身代金を要求されていたときに、たくさんの応援企業の引き連れて中東を訪問したアベシンゾウは、イスラム国を食い止めるために2億ドルを出すと演説した。直後に身代金の額が2億ドルに増額され、その後ふたりは殺害された。
 他の国の指導者でそんな子供じみた演説をした人はいない。表の顔と裏の顔を使い分けて、イスラム国と水面下で交渉し、自国の人質を救出していた。日本人にもイスラム国と間接的なパイプを持っている人たちはいたのではないだろうか。平和だけを願っていた後藤さんの無念の死は、アベシンゾウと日本政府による見殺しであった。
 背景には、アベ政権のジャーナリストとジャーナリズムに対する軽視あるいは憎悪があったと思う。アベ官邸にとって、都合の悪いことを報じる報道機関は邪魔なだけなのだ。彼らは後藤さんの死をざまあみろと思ったに違いない。当時の官邸には、現総理大臣のスガヨシヒデもいた。冷酷な政権の中でも最も冷酷なのが官房長官だったこの人である。最終的には生活保護があると予算委員会で言い放ったのは記憶に新しい。日本の現首相には国民を救う気持ちなど1ミリもないのだ。
 さて本作品はデンマーク映画でデンマーク人の若いフォトグラファーが主役である。彼が撮りたいのは戦場の街や、子供たちをはじめとするそこに住む人々だ。撮影していて楽しい。こんなに素晴らしい被写体はない。だから危険を顧みずにシリアを訪問した。第三者から見れば若気の至りの無謀な行動に思えるかもしれない。しかし戦地の状況を伝えるフォトグラファーがいなければ、我々は悲惨な現実を知ることがない。後藤健二さんと同じように、主人公ダニエルの行動は非難されるべきではない。
 シリアの出入国事務所のすぐ近くには銃を携えた兵士がいる。シリアにはいくつかの武装勢力があり、ダニエルは自由シリア軍という勢力にバックアップを頼んで撮影に行くのだが、イスラム国と見られる男たちに捉えられ連れ去られる。
 問題はふたつ。ひとつはイスラム国にヨーロッパの他の国から参加している人がいること。ダニエルを拷問したのは主にその白人だ。不満のはけ口をイスラム国に参加して暴力や殺人を行なうことに求めていることだ。もうひとつは、イスラム国や自由シリア軍などが持っている武器はどこからきているのかということである。
 難民が自国に押し寄せてきていることの反動かもしれないが、イギリスやフランスの若者がシリアにまで行ってイスラム国に加わるというのは感覚的には信じ難い。例えば日本人の若者が同じようにシリアに行ってイスラム国に加わり、韓国から来たジャーナリストを拷問するなどということは想像しにくい。しかし捕虜たちからジョンと呼ばれる白人の男がダニエルを拷問したのは確かだ。ほぼ無宗教の日本人と日常的に宗教と関わる国の違いだろうか。
 中東の紛争だけでなく、世界中の紛争にはほぼアメリカ製かロシア製の武器が使われている。最近ではもしかすると中国製や日本製の武器も使われているのかもしれない。アメリカの軍需産業の市場規模は約70兆円である。日本のGDPが約500兆円であることを考えると、単純比率で考えれば日本の労働人口の14%、つまり840万人のアメリカの労働者が軍需産業に関わっていると推定できる。この人数が生計を立てていくために世界中に武器を売っているのだとすれば、アメリカの軍需産業の罪深さは底知れないものがある。
 人間は他の動物に比べて環境順応性が高く、過酷な環境にも慣れる。それはブラック企業が存続できる理由のひとつでもある。そしてブラックな国家についても同じことが言える。テロリストに拘束された人も、苦しい毎日に慣れる。しかしそれは自由も希望もない日々だ。
 ある人がダニエルに託した言葉が本作品の肝である。「奴らの憎悪に負けるな」と彼は言う。なるほどと思った。世界の紛争は憎悪と不寛容の精神性に端を発し、世界の軍需産業が拍車をかけているという構図なのだ。人間の愚かさの典型的な図式である。日本の軍需産業は5兆円の防衛予算に支えられている。日本が戦争に巻き込まれる可能性は限りなくゼロに近いのに、どうして防衛予算が毎年増えるのかについてのからくりもここにある。愚かなのは日本も同じなのだ。