三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「逃げきれた夢」

2023年06月11日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「逃げきれた夢」を観た。
映画『逃げきれた夢』公式サイト

映画『逃げきれた夢』公式サイト

6月9日(金)新宿武蔵野館、シアター・イメージフォーラムほかロードショー。2019フィルメックス新人監督賞 グランプリ受賞作品

映画『逃げきれた夢』公式サイト

 教師の定年は今年(2023年)から段階的に引き上げられるが、映画の時点では60歳である。娘があと一年で定年だと言っていたから、主人公の末永は推定59歳だ。ほぼ還暦である。
 本作品は、人生を力強く肯定するとまではいかないが、人生をそれなりに肯定する。光石研が還暦男の悲哀と諦観を上手く醸し出している。筒井真理子主演の映画「波紋」でも普通の夫を上手に演じていて、こういうタイプの役に欠かせない俳優となった感がある。

 言葉は言霊などと呼ばれることがある。言われた方は憶えているが、言った方は憶えていないことはよくある話だ。誰でも中学や高校の間に教師に言われた言葉の中に、いまでも憶えている言葉があると思う。言霊は言われた方にとっての話だ。

 子供の頃は本音だけで生きている。しかし歳を取れば取るほど、本当のことが言えなくなる。思っていることよりも、自分が何を言うべきかを優先してしまうのだ。家族に対しても同じである。いや、家族に対しては尚更、本当のことが言えない。
 しかし本作品の末永は、とうとう本音を洩らす。還暦になってもいまだに人生に迷っている情けない自分をさらけ出すのだ。その姿が、とても立派に見えたのは当方だけではないと思う。坂井真紀が演じた妻が「あなたって、こんな人だったっけ?」と驚くのは無理もない。思春期に自意識が増大して以降、本当のことなど言ったことがなかったのだ。

 吉本実憂が演じた教え子の平賀との会話は、妙にスリリングだ。秘めた駆け引きもないことはないが、それよりも開けっぴろげに本音を言い合う爽快さがある。別れの言葉もなしに去っていく末永の背中に、何か吹っ切れたものを感じた。

 人生の真実を切り取ってみせた作品である。タイトルの「逃げ切れた夢」は解釈が難しい。末永は子供時代は恵まれていたと思っている。その後の人生も、そんなに酷い状況に陥らないままにやり過ごせた。公立高校の教師になって税金で給料をもらい、家も建てて、娘も育てた。痴呆の父親を施設に入れることもできた。自分も痴呆の兆しはあるが、なんとか酷くなる前に死ねたらいいと薄っすらと願っている。

 舞台は福岡県。松重豊が演じた旧友が「しゃあしい」を連発するが、これは九州弁で「やかましい」という意味で、余計なお世話という意味も含んでいる。「嫌い」という代わりに「好かん」を使うのも九州弁だ。否定的な表現をオブラートに包む京都弁の文化が流れてきている言葉だと思う。
 本作品では方言がそのままだが、大方の人は意味が理解できたと思う。それだけ光石研の演技も二ノ宮隆太郎監督の演出も見事だったわけで、とても楽しく鑑賞できた。ただ一点だけ、最近学校に来なくなっている、あと半年で卒業の女生徒のことはどうなったのだろうか。それだけがやけに気になる(笑)。

映画「TENOR」(邦題「テノール! 人生はハーモニー」)

2023年06月10日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「TENOR」(邦題「テノール! 人生はハーモニー」)を観た。
映画『テノール!人生はハーモニー』公式サイト

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「エミリー、パリへ行く」、『マンマ・ミーア!ヒア・ウィ・ゴー』製作者が贈る人生の新たなステージを駆け上がるふたりの感動ヒューマンドラマ!

映画『テノール!人生はハーモニー』公式サイト

 会計や経理は立派な仕事である。オペラ歌手よりも劣っている仕事だとは少しも思わない。本作品には会計や経理の仕事を軽視し、寿司の配達員を見下すようなシーンがあって、ちょっと不快に感じた。
 ただ、オペラ歌手が個性を発揮できるのに対して、会計や経理はルールを厳格に適用する正確性が求められるから、個性を発揮することは困難だ。
 個性を発揮できる仕事のほうが収入が多い場合がある。しかし収入が多いことよりも、承認欲求が満たされることのほうが重要かもしれない。スポットライトを浴びる中で自分のポテンシャルを発揮するのは、体験した人でなければわからない幸福感があるのだろう。

 本作品の主人公アントワーヌは寿司のデリバリーのバイトをしながら会計を習う学生で、ヘイト系のラップバンドを組んでいる。対立する地区とのラップ対決は、ほぼ悪口の言い合いだ。アントワーヌはいろいろな意味で倦んでいる。そこにエポックメーキングな出来事が起こってストーリーが動き出すという、割とベタな展開だ。
 大して面白い作品ではないが、登場するオペラは馴染みのある曲がほとんどで、ラストのアリアは大方の人が期待するあの曲である。本作品唯一の盛り上がるシーンだが、その前にアントワーヌがちょくちょく披露するビートボックスも悪くない。
 フランス映画らしく性に大らかな日常がさり気なく表現されるシーンはいい。レイシストのおばさんを登場させたのは、いまのご時世に対する製作者の危機感の現われだろうか。

 それなりに飽きずに鑑賞できるが、価値観がとっ散らかっている憾みがある。ラスト近くの手紙が仲間たち集結のシーンに重ねられてしまっているから、中身がちっとも頭に入って来なかった。3.0が精一杯である。

映画「渇水」

2023年06月04日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「渇水」を観た。
映画『渇水』公式サイト - KADOKAWA

映画『渇水』公式サイト - KADOKAWA

映画『渇水』6/2(金)ロードショー。渇いた世界に、希望の雨は降るのか−。主演:生田斗真×企画プロデュース:白石和彌(『凶悪』『孤狼の血』『ひとよ』)×監督:髙橋正弥...

 とても面白かった。主人公は水道局の職員という地味な役柄だが、水道代を払えない人々の上水道の給水停止処理を続ける中で、やりきれない世の矛盾を実感していく。

 岩切と木田のコンビがとてもいい。水道という最も基本的なライフラインの代金さえ払えない人々に対して、自分たちは税金で暮らす安全圏にいることを自覚している。決して前向きな仕事ではないし、何も生み出さない。
 ふたりの疑問はよく分かる。公務員は市民のために働く仕事ではないのか。水道を停止していくことは市民の生命や健康を危険に陥れこそすれ、決して市民の福祉に寄与しているとは思えない。課長の態度を見ている限り、仕事だからやれ、嫌なら辞めろと言っているみたいだ。
 しかし課長の言うことは、ある意味で間違っていない。大抵の人は自分にできることを仕事として生活している。好きなこと、やりたいことだけをやって生きていける人はごく少数だ。好きでもない仕事でも、作業興奮という脳の働きで、大方の作業は楽しく感じるようになる。仕事の意義や社会貢献を顧みたりしなければ、働くことはそれほど苦痛ではない。

 だが他人を苦しめる仕事はどうだろうか。強盗や泥棒や詐欺みたいな犯罪でも、成功体験がドーパミンを分泌させるかもしれない。結果が出る仕事だ。結果が出ないで、単に他人を苦しめるだけの仕事はそんなにないかもしれない。水道局の給水停止係はそういう意味では苛酷な仕事だ。

 さて仕事と同じように、実家に帰っている妻と子供との関係にも悩む岩切だが、世の中が乾燥していても、人と人との間には潤いが必要であることに気がつく。それが滝のシーンである。乾燥しているはずなのに滝の水量が多いことは置いておいて、描きたかったのは滝壺周辺に大量発生しているマイナスイオンだろう。マイナスイオンを浴びて潤うことで人は癒される。
 潤いとは優しさだ。他人の幸せを思う無償の行為である。スーパーで少女を見たときに、岩切の心に天啓のように潤いが溢れ出す。他人とどう接すればいいのか、答えは簡単だった。

 タイトルの「渇水」に心の渇きの意味もあることは誰もが承知していると思う。使われる童謡は野口雨情の「しゃぼん玉」と北原白秋の「あめふり」だ。いずれも子供と水の関係性を歌った歌である。本作品には、世の中が乾燥していても、心に潤いのある生き方は可能だと思わせる部分がある。それは髙橋正弥監督の優しさかもしれない。今年(2023年)の6月23日公開予定の同監督の「愛のこむらがえり」も楽しみだ。

映画「怪物」

2023年06月04日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「怪物」を観た。
映画『怪物』 公式サイト

映画『怪物』 公式サイト

監督・是枝裕和 × 脚本・坂元裕二 日本屈指の映像作家&ストーリーテラー、夢のコラボレーション実現! 映画『怪物』 2023年6月2日(金)公開決定!!

映画『怪物』 公式サイト

 同じ事実でも人によって見え方が異なる。人は自分の都合のいいように事実を解釈するものだ。本作品では同じ場面が違う視点から繰り返されることで、真実に迫っていく部分があり、それが観客を引っ張っていく。演出の力だ。そこは素直に評価する。

 しかし観終わると、なにかおかしい。フランス映画は余韻があると言われるが、本作品は余韻があるどころか、余韻しかないと言ってもいいくらいだ。本作品の余韻は独特で、その殆どが違和感である。だからなのだろうか、素直に感動できなかった。

 坂元裕二の脚本は、映画「花束みたいな恋をした」もそうだったが、妙にリアリティを損なう台詞がある。本作品では一連の教師たちの台詞がそうだった。
 当方は仕事でたくさんのクレームの対応をした経験があるが、一件ごとに事情が異なっているから、本作品の教師たちのようなマニュアル通りみたいな対応はできなかった。それよりも、実際に何が起きたのか、事実はどうだったのかと、真相を明らかにするのが解決への一番の近道だった。
 その場を取り繕うのではなくて、事案の本質と原因を追及しようとする姿勢を見せれば、相手に安心感を与えることが出来る。感情的な側面が解決すれば、その後は一緒になって問題解決をしていけばいい。それが普通だと思う。少なくとも当方はそのやり方でクレームを解決していった。
 本作品の教師たちみたいな対応は、現実にはあり得ないと言っていい。敢えて典型的なシーンにしようと思ったのだろうが、逆にステレオタイプに堕している。

 何をもって「怪物」と呼ぼうとしているのかはわかる。保利教諭の「男だろ」という台詞や、安藤サクラが演じる母親の重すぎる愛、教師たちの必要以上の身構え方、子どもたちの「お前は女か」という台詞。それらから浮かび上がるのは、パターナリズム、親の独善、組織の論理と人々の保身、LGBTに対する無理解などである。つまりは世間そのものだ。

 演出が脚本と喧嘩しているような場面がいくつもあった。自然な演技と不自然な演技の両方があって、役者陣は大変だっただろう。永山瑛太の保利教諭はまるで二重人格かと思わせるし、世間の代表みたいな田中裕子の校長も同じである。どの登場人物にも洞察力がなさすぎるのもおかしい。なのにラスト近くになって急に校長や保利教諭が洞察力を発揮するのは、ご都合主義すぎる。
 いじめやLGBTやパターナリズムなど、テーマはそれなりに詰め込んでいるし、子役を含めて俳優陣の演技にはところどころ光るものがあったが、いかんせん脚本に違和感がありすぎて、作品としてはあまり高い評価はできなかった。

映画「ウーマン・トーキング 私たちの選択」

2023年06月03日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ウーマン・トーキング 私たちの選択」を観た。
映画『ウーマン・トーキング 私たちの選択』公式|6月2日(金)全国公開

映画『ウーマン・トーキング 私たちの選択』公式|6月2日(金)全国公開

映画『ウーマン・トーキング 私たちの選択』公式|6月2日(金)全国公開

 ガブリエル・ガルシア・マルケスの小説「百年の孤独」を思い出した。ある夫婦が未開の地を開拓して造った共同体マコンドの栄枯盛衰を描いた壮大な物語である。その中でひとり実験と思索にふける男がいて、あるとき驚いたように「この世界は丸い」と言った。定期的にマコンドを訪れるジプシーのメルキアデスがそれを聞いて、地球が丸いのは周知の事実だが、この男が観察と思索だけでその結論に辿り着いたのは大したものだと褒める。

 本作品の舞台となった村も、外界と隔絶されて独自の掟で営まれている。2010年の話とは思えないほど、女たちの衣装は古めかしい。つまりは現代のマコンドだ。男尊女卑の階級社会であり、長老がすべてを決める。教育を受けるのは男に限られており、教育の内容は男尊女卑の村の掟である。女たちの識字率はゼロで、おそらく地球が丸いことも知らないに違いない。

 女たちの議論は唯一教育された宗教の教義に基づいている。他の考え方を知らないのだからやむを得ないと思わせる。しかし議論が進むにつれて、教育を受けていなければ難しいレトリックも登場するようになり、ややリアリティに欠ける。本作品に難点があるとすればそこだ。
 もちろん日本の不良たちが繰り出すような論理破綻した発言も出てくるが、説得力はない。スクエアな主張も残しつつ、議論は原始的な共同体を維持しようとする守旧派から、自由と平等の民主主義の方向へ転換しようとする革新派へ進んでいく。

 書記を務めるのは大学で高等教育を受けたオーガストである。彼は民主主義の考え方を紹介することが出来たが、そうしなかった。女たちがみずから議論を深めることのほうが重要だからである。
 オーガストの考えはわかる。女たちが主体性を獲得するのが最も大事なのだ。これまで長老が指導するまま、男たちの言うがままに生きてきた。これからは自分たちで生き方を決めなければならない。オーガストの覚悟が陰で女たちを支えていたのだが、それに気づいていたのはオーナだけだった。しかしそのオーナでさえも、宗教の呪縛からは脱しきれない。神という概念は常に善のベールを被っているから、とても厄介だ。

 オーガストを演じたベン・ウィショーの雰囲気が日本の俳優の堺雅人に似ていると思ったのは当方だけだろうか。同じタイプの名優だと感じた。オーガストは、ともすれば横道にそれたり現実離れしたりする女たちの議論を、ひとつの方向性にまとめる役割を見事に果たしていた。