草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

舛添のような東大出政治家は戦後民主主義の優等生

2010年12月02日 | 政局

 東大出のインテリは、所詮は戦後民主主義の優等生でしかないようだ。皇室に対する不敬発言と、携帯電話が鳴ったというのを同列視するのは、民主党を利したいからだろう。舛添要一の喧嘩両成敗のようなコメントは、空々しい限りで、批判する気にもならない。東大で秀才であったというわりには、つまらないことをくだくだ言うものだ。皇室を敬うという気持ちも、まったく持ち合わせていないのだろう。真相ははっきりしないが、「総理大臣にしてやる」とか小沢一郎に言われて、それで自民党を離れたのではなかろうか。世論調査では、常に首相候補としてトップを走り続けていたために、自分の人気を過信したに違いない。しかし、現実はそんなに甘くはなかった。今では鳴かず飛ばずの身の上になってしまったからだ。判断ミスをしたツケは、取り返しがつかないのである。泥舟と化した民主党政権と一緒で、沈没するしかない自民党離党組の面々は、心中穏やかではないはずだ。舛添に限ってみれば、じっと我慢をしていれば、総理大臣のポストが転がり込んできたのに、とんでもない判断ミスをしてしまったのである。だからといって、自民党に矛先を向けるのは間違いであるが、舛添にしてみれば、八つ当たりをしたいだけだろう。

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朔太郎の詩が問いかける日本へのこだわり

2010年12月02日 | 思想家

 十二月になると決まって、私の耳元で萩原朔太郎の声が聞こえてくる。池袋の粗末なアパートで過ごした月日が、鮮やかに蘇えってくる。万年床を敷いただけの四畳半の部屋には、本棚すらなかったが、レコードプレーヤーがあって、何人かの詩人が自作を朗読した一枚のレコードを、後生大事にしていたのだった。とくに聞き惚れたのは、朔太郎の詩集『氷島』に収録されている「乃木坂倶楽部」の詩である。「十二月また来たれり。/なんぞこの冬の寒きや。/去年はアパートの五階に住み/荒涼たる洋室の中/壁に寝台を寄せてさびしく眠れり。/わが思惟するものは何ぞや」という冒頭部分だけで、不思議と感傷的な気分になったものだ。硬質であるはずの「思惟」という言葉も、まったく違和感がなかった。そして、その後の「すでに人生の虚妄に疲れて/今も尚家畜の如くに飢ゑたるかな。/我れは何物をも喪失せず/また一切を失ひ尽せり」という言葉に、そこはかとない寂寥感を覚えてならなかった。昭和四年作で、妻と別れた荒んだ暮らしを詩にしたといわれるが、それだけにとどまらずに、失われつつあった日本へのこだわりがあった。平成の世にあっても、その問いかけは大事ではなかろうか。祖先崇拝を通じて培われた家族の絆を、根本から破壊しようとする民主党政治にノンを突きつけるものも、かけがえのない祖国日本を愛しているからなのである。

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