小沢一郎も菅直人も、どっちもどっちで、自滅してもらうしかない。しかし、したたかなのは、菅の方ではなかろうか。思想性がまったくないからだ。小沢の方が、変にこだわりがある。菅が一時代築けたのは、単なる声が大きいアジテーターであっただけなのだろう。だからこそ、学生運動で傷つくことなく、市川房江あたりの鞄持ちができたのである。そもそも暴力革命を主張するだけの度胸もなく、戦後民主主義の落とし子のように、平和憲法の理想を説いていれば、それだけでリーダーになられたのである。小沢が衆議院政治倫理審査会の出席を拒否したといわれるが、岡田克也幹事長は、中央突破をしたい意向のようだ。党の決定として、小沢の招致を求めるのだろう。ここで妥協してしまえば、自分の面子も立たないのである。小沢が逃げるべきではないのは確かだが、色々と利用してきたくせに、菅が手のひらを返して断罪するのは、いかがなものだろう。最初から手を組んでいなければ別だが、自分たちが生き残りたいがために、小沢をスケープゴートにしたいのではないか。そうすれば、この前のように内閣支持率もアップすると、菅は考えているのだろう。小沢も哀れなものである。無理をして政権交代などしなければ、ここまでボロクソにはいわれなかったのに。同志であった人間からまで罵倒されては、立つ瀬がないはずだ。
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