草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

四畳半の書斎に寝ころびて 5首

2010年12月12日 | 短歌

 啄木や勇の歌に惹かれけり老いはかくまでうぶなりしかな  

 願わくば飯の種なる本あらばマーカー引いて惚れ惚れするに  

 世にそむき石もて追わる人ばかりわが書斎には馳せ参じたり  

 さすらいの思いのままに書を読めり学者にあらず選良ならず  

 文士たる山田風太郎烈士たる山口二矢の最期記せし  

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自虐史観を痛烈に批判した山田風太郎

2010年12月12日 | 思想家

 山田風太郎は侍でござる。放浪癖があるせいか、車でブラブラ旅をしたことがあった。平気で車中泊をするから、ガソリン代しかかからなかったが、兵庫県を走っていて、山田風太郎記念館という看板が目にと飛び込んできた。今から5年ほど前のことである。文士山田風太郎の小説には、会津人が何人も登場して、時には悩ましげなからみがあったりで、本人は物故しているとはいえ、表敬訪問せねばと思って、身銭を切って立ち寄ってみた。まず驚いたのは、道が狭くて、そこに行くまで迷路のようだったということだ。その当時は、まだ養父郡関宮町で、今のように養父市とはなってはいなかったが、面食らったのを覚えている。生家を探しあてるのも大変であった。後になって、生家前で山田風太郎が撮った写真を見たが、そのときの記憶の通りであった。山田風太郎といえば、忍法に強いだけあって侍でもあった。教科書問題に触れて、「やがて日本は自分たちの国は『恥ずべき』戦争をしたと子供たちに教えかねないと感じている。そんな国がどこにあろうか」(「戦中派の考える侵略発言」)と嘆いていたのだった。それでは、戦死した者たちが死に切れないからだ。山田風太郎が怒ったのは、首相の細川護熙に対してであったが、菅直人首相も同じ部類に属するから、きっとあの世でエキサイトしているだろう。

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「民を貴(たっと)しと為す」を忘れたサヨク政権の居直り

2010年12月12日 | 思想家

 「私は嘘を申しません」と演説したのは、1960年代の高度経済成長時代に首相であった池田勇人だが、今回どんな虚偽答弁をしても許されるかのような政府見解が示されたのには、呆れて物が言えない。自民党の森雅子参議院議員の質問趣意書への答弁書で明らかになったもので、内容次第と一応断っているにせよ、いくら嘘を吐いても追及されないのであれば、予算委員会や本会議などでの質疑応答も、まったく意味がなくなってしまう。政治家は言葉によって、国民を説得する役目があるのに、それを放棄したかのような捨てゼリフである。国民のことなど眼中にないのだ。ただただ、権力を手放したくない一心なのである。こんなデタラメな答弁書に対して、もっとマスコミも攻撃すべきなのに、それもしないのは、まだまだ民主党への未練があるからに違いない。麻生太郎政権のときであれば、鬼の首でもとったかのようにして、徹底して苛め抜いたはずだ。しかし、国民の信頼を失うようなことを次々としでかして、それで政権が持つわけがない。孟子の言葉に「民を貴(たっと)しと為す。社稷之に次ぐ。君を軽しと為す」というのがある。民がもっとも貴く、ついで国家であり、最後が君であるというのだ。その根本を見失っているのは、天を恐れざるサヨク政権だからだろう。  

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