今年も残すところ明日一日だけだが、年末から年始にかけてやることは、もう決まっている。小林秀雄の『本居宣長』を読むことだ。除夜の鐘を聞きながら、書斎にこもって独り頁をめくるのである。NHKの紅白歌合戦などという乱痴気騒ぎは、付き合いきれない。国民的行事としての役割は、とっくの昔に終わってしまったのではないか。昭和40年代初めまでは、戦後の高度経済成長ということもあって、国民が一つになったが、そんな時代は二度ともどってこない。美空ひばりのような国民的スターが、出場者のなかにいるわけでもないし、面白いはずがない。今、小林秀雄を読むというのは、日本人としての自分自身を確認するためである。さかしらな心ではなく、やまと心を知ることによって、これまでの来し方を反省し、明日に向かう指針を手にしたいからだ。もう何回も読破しているが、そのたびごとに、日本人としての情(こころ)が呼び覚まされる。日本語によるたおやかな思想が、そこには息づいているからだろう。「学問とは物知りに至る道ではない、己れを知る道である」という小林秀雄の言葉も、ずっしりとした重みがある。それだけに、私にとっては、小林秀雄の『本居宣長』を手に取らなければ、新年を迎えたことにはならないのである。
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