小沢一郎も鳩山由紀夫も、結局は菅直人と同罪なのである。連合あたりから横槍が入ると、すぐに元の鞘に収まる。小沢がやっていることも、あくまでもガス抜きでしかない。それを信用して、騒ぎ立てる方が愚かなのである。小沢一郎のグループが内閣不信任案に賛成するとか言っていたが、それは、民主党内の主導権を手にしたいだけだ。小沢にしても、水谷建設から1億円もらったことで、満身創痍である。大きい顔をできる立場ではない。復権したいというのは、あまりにも虫が良すぎる。さらに、自民党もだらしない。菅内閣を打倒すべきであるのに、もう一つ盛り上がらない。戦後体制を打破し、憲法改正を実現するという目標があるにもかかわらず、ついついぶれるからだ。また、自民党が民主党への対立軸として提示すべきは、今回のような例外的な状況にあって、超法規的処置によって、国民の財産と命を守るということだ。ともすれば、今回の福島第一原発のトラブルについては、原発か反原発かにすり替える議論があるが、それ以上に国家が国家としての責務を果たすかどうかが問われているのだ。民主党政権はその責任を回避して、国民の命を虫けらのように扱おうとしている。ここまで事態が深刻になれば、保守派としては、民主党の一部と組むのではなく、丸ごと否定しなければ、日本国民に未来はないのである。
マスコミというのは恐ろしいものである。ことの良し悪しは別にして、テレビに出ているだけで、ときの人となってしまうのである。有名になるというだけで、それ以外の人よりも目立つのである。フジテレビの新報道2001でも、菅直人首相について、総理を続けて欲しいという人が半数近くいたのも、テレビへの露出頻度が多いからなのである。国民から総スカンを食ってもよさそうなのに、身近な存在として意識してしまう人もいるのだろう。国営放送たるNHKなどは、まさしく政府広報のたれ流しのせいもあって、揚げ足取りはしないから、PRしていることと同じだ。次期首相に一番ふさわしいのは誰かという設問で、トップが枝野幸男官房長官というのもうなづける。朝から晩までテレビに出ているから、顔見知りになった気がするのだろう。しかし、菅首相や枝野官房長官の言っていることは、嘘ばかりである。まともな国民は怒りに打ち震えている。それを知っているからこそ、枝野官房長官などは、常にSPに警護されなければ、安心できないのだろう。テレビが彼らをより有名人に仕立てあげることで、かえって国民の命が軽んじられることになっているのだから、悲劇を通り越して喜劇だ。テレビに対抗して、福島第一原発での不手際などを、ネットが徹底的に追及することでしか、政治の流れを変えることはできないのである。
一体どこまで民主党政権は福島県民を弄べば気がすむのだろう。一日も早く飯舘村民を避難させるべきであるのに、計画は遅々として進んでいない。真実を語ることなく、いい加減なことばかり言ってきたから、いつになっても方向性が定まらないのである。まず整理しておかなければならないのは、子供たちを率先して安全な場所に移動させることであり、もう一つは、今後、飯舘村と同じく、放射能汚染が深刻化しかねない福島市ではなく、最低でも、会津に移り住むべきだということだ。村民6200人がまとまって行動しようとすれば、おのずと選択肢も決まってくるはずだ。村当局に望みたいのは、無政府状態の民主党政権に見切りをつけるということだ。もはや躊躇する時間は残されておらず、すぐにでも決断して、村民の命と暮らしを守るべきだろう。福島第一原発から放出された放射性物質が、悲しいかな飯舘村をおおってしまっている。人住めぬ荒涼たる地にとどまることは、もはや不可能なのである。村民はその現実と向き合って、自分たちの健康を第一に考えるべきだろう。それでいて、今の政権には、危機に対処するだけの能力を持ち合わせていない。もはやここまでくれば、国を頼らずに、自分たちで生き残りを目指すしかないのである。