またまた嗤ってしまったのは、風評被害の定義である。民主党政権の「原子力損害賠償紛争審査会」が作成した指針によると、風評被害で賠償するのは、政府や自治体の出荷制限や自粛要請で損害を受けた農家や漁業者だそうだ。言葉の使い方が違っていないだろうか。ホウレンソウなどの出荷制限や自粛要請が出された段階で、それは実害ではなかろうか。どうしてそれを風評被害と言うのだろうか。風評被害というのは、根拠のない原因、結果によって引き起こされるわけだから、今回のように福島第一原発によってもたらされたものであれば、明らかにそれは実害だ。放射能物質が拡散し、それで野菜などが汚染されたのであり、いかに暫定基準値ではあっても、それをオーバーしたために、市場に出せなかったのである。風評被害というのは、そうではないはずだ。福島県西部の会津地方や、栃木県の那須などのように、観光地であるにもかかわらず、根も葉もない噂のせいで、観光客がガタ減りになったような地域が、東京電力や国を訴えるのが風評被害なのである。民主党政権は、できるだけ責任をとりたくないという意向が働いているせいか、できれば門前払いをしようという思惑が見え隠れする。会津に住む者にとっては、今の段階では風評被害で訴訟を起こすことになるが、事態が深刻になれば、次のステージに進むのはあたりまえで、二段構えで準備すべきだろう。
いよいよ菅政権を打倒するときが到来した。東日本大震災への対応のまずさは、同じ民主党の小沢一郎にまで批判されており。このまま総理の座にとどまることは、さらなる悲劇をもたらすだけだ。今もっとも注目されるのは、内閣不信任案に民主党内からどれだけ造反者が出るかだ。解散を恐れるあまり、それを否決する票を投じれば、その民主党議員は国民を敵に回すことになるだろう。国民は菅政権の情報隠蔽と嘘に怒っており、いくら枝野官房長官が記者会見を行うとも、ほとんどが眉唾物だと思っている。また、ここで自民党の詰めが甘くて、その不信任案が否決されることになれば、国民は絶望的な気持ちになって、実力行使をせざるを得なくなるだろう。議会制民主主義の根幹が問われかねない。石川啄木に「ココアの一匙」という詩がある。「奪はれたる言葉のかはりに/おこなひをもて語らんとする心を」というのは、デスペレートなテロリストの心情である。原発事故はもはや制御不能な状態である。福島県は放射能汚染地帯として、全世界に知られるまでになってしまった。テロリストの出番をつくらないためにも、すぐにでも政権交代を実現しなければならない。この国の危機は深刻なわけだから。