5月11日に保守派の市民団体が菅内閣打倒のデモを予定しているようだが、自民党はどうして街頭に繰り出さないんだろう。与党惚けが抜けないので、野党としての根性が皆無なのだろうか。主催がどこであろうとも、一緒に加わって、日の丸の旗で都心を埋めつくすべきではないか。政権を奪還するためには、そこまで徹底すべきなのである。まだまだ地方議員の数は、自民党系を含めれば、膨大な数がいるはずだ。議員活動だけしていればいいというのは、それは昔のことだ。自民党は野党に転落したことで、国民の不満や要望を代弁しなくてはならない立場だ。スーツ姿で、業界団体を回っていれば、それなりに恰好がつく時代は終わったのである。民主党政権というサヨクを、一日も早く打倒するために、一人でも多くの保守派の市民を動員し、政治の流れを変えなくてはならないのだ。自民党のお歴々は、口では非常事態法の必要性を言うが、だったらば、デモの先頭に立つべきだろう。保守系市民団体の地道な活動を高く評価する一人として、自民党が戦う野党に脱皮することを望みたい。世襲議員ではそれが無理なのであれば、新たな人材を発掘し、陣容を整えるべきなのである。福島第一原発の不手際を追及するにしても、自民党のやっていることは、まだまだなまぬる過ぎて話にならない。
共産主義者同盟旧戦旗日向派の荒岱介が去る3日死去した。三里塚闘争や東大安田講堂占拠事件では、実刑判決を受け3年余り獄中にあった。晩年になってはもっぱら環境保護運動に力を尽くした。吉本隆明あたりを絶対視していた身としては、荒の思想に影響を受けたことはなかったが、彼の転向の書と目される『環境革命の世紀へ・ゼロ成長社会への転換』だけは目を通した。1989年のベルリンの壁の崩壊や、ソ連邦の崩壊を目のあたりにして、マルクス主義からの決別を宣言したのだった。「ナチズムやスターリン主義という二つの全体主義に抗しつつ、なおかつ資本主義社会での圧倒的な貧富の差の存在という矛盾に異を唱えんとするものは、一体どう考えていけばよいのか」という問いを、自らに突きつけたのである。プロレタリア軍団を率いていた大田竜が日本に回帰したように、さかしらな心を排斥し、物質万能主義ではない精神文化に触れる一歩手前ではなかったかと思う。三島由紀夫ではないが、日本の新左翼の運動を一定程度評価することはやぶさかではない。国家たりえなかった戦後日本の負の部分であり、それ以外のイデオロギーは準備されていなかったからだ。しかし、今の時代の変革の原理は保守派であり、日本という国家が蘇えりつつある。荒の死によって、新左翼のイデオローグが、また一人姿を消したということなのである。