今の世情は昭和7年5月15日のときと似てはいないだろうか。あのとき国民は、血なまぐさいテロに共鳴した。中村武彦は「5・15事件に対する国民の同感、支持は今日から考えれば信じ難いほど大きかった。陸軍海軍それぞれの軍法会議に向けて助命、減刑の嘆願が殺到したが、殊に陸軍の軍法会議では、純真なる士官候補生への人気は国民の憧れとも伝えるところまで高まった。嘆願書に添えて小指を切る者も多く、法廷に提出されたアルコール漬けの小指の数は、ちょうど士官候補生の数と同じ数であった」(『私の昭和史』)と書いている。5・15事件では、海軍将校、陸軍士官候補生、農村青年など30余名が、首相官邸、政友会本部、警視庁、日本銀行、三菱銀行、東京市内の数カ所の変電所を襲撃した。首相官邸を襲ったのは、海軍中尉三上卓と陸軍士官候補生後藤映範ら9名。そこで犬養毅首相が殺害された。「騒がんでも話をすれば分る」と静止しようとした犬養に向かって、問答無用と銃を発射したのである。彼らが撒いた檄文では、建設よりも破壊を主張し「すべての現存する醜悪な制度をぶち壊せ!」と訴えている。日本は不況のどん底にあったばかりでなく、昭和6年に勃発した満州事変は、泥沼化しつつあった。今の原発事故後と同じで、閉塞感が漂っていたのであり、テロの背景には、それなりの理由があったのだ。
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