民主党に期待した人は、またもや裏切られたんではなかろうか。毎度のことだから、驚くにはあたらないが、党の震災対策副本部長の石井一がマニラでゴルフ三昧。菅直人首相をこきおろしていた小沢一郎が、これまた千葉県で魚釣り三昧。いつになっても放射能もれを止められない菅を含めて、まさしくお笑い三人組である。それから、もう一人、わざわざ中共に出かけて行って、日本の原発事故を謝罪した鳩山由紀夫を忘れるところだった。あまりにもひどい役者ばかりで、ドサ回りの旅芸人一座にも入れない連中が、この国を動かしているかと思うと、背筋がぞっとする。そこに付いているスタッフも、史上最低だ。嘘ばかりの枝野幸男官房長官と、弁解マシーンの細野豪志首相補佐官のコンビは、これまた酷過ぎる。民主党に一票を投じた国民に責任があることは確かだが、少しは期待に応えるべきなのに、まるっきり駄目だというのは、嘆かわしいことこの上ない。それだけに、残念なのは、民主党政権を打倒すべき自民党に、パワーが欠けていることだ。これでは国民も頭を抱えてしまう。いくら何でもこのままでは、迷惑するのは国民である。自民党を割ってでも、行動する保守派が立ち上がるべきだろう。お笑い四人組の時代を終わらせないと、それこそ日本という国家の存立も危ぶまれるからだ。
旧相馬郡小高町ゆかりの作家としては、埴谷雄高と島尾敏雄がいる。旧小高町は平成18年に原町市、鹿島町と合併して現在は南相馬市となった。今回の東日本大震災では、地震、津波、原発の三重苦を背負わされた。埴谷の『死霊』は、私にとっての青春の書であるだけに、彼の郷里が今どうなっているかについて、他人事でなく気になってならない。埴谷の祖父は、相馬藩の上級武士であった。明治4年の廃藩置県で家禄奉還となり、田畑や山をもらって百姓になった。そのときに相馬の中村から小高に移り住んだ。その祖父が百姓が性に合わなかったようで、没落して土地を手放してしまった。それが悔しかった埴谷の父は、奮起して台湾まで出かけて行って、税務官吏や製糖会社で金を溜めて、そして、ようやく元の土地を取り戻したのだった。執着が強かったせいもあり、父親は晩年は妻子と離れて一人で故郷に住んでいた。そのときに埴谷は旧小高町で暮らしたことがあった。「ぼくのところは海に近いところで、泳ぎにいったりすると日本的情緒を感じる」と述べていることからも、海岸の近くではなかったかと思う。作家となった埴谷は、結局はその土地を手放したのだが、埴谷文学を考える上で、無視することができない原風景なのである。今、埴谷がもし生きていたらば、その惨憺たる光景に絶句したのではなかろうか。