亡き親父が、何かあると口ずさんでいたのが「男なら」であった。昭和12年に歌われたバージョンと、今流布されている歌詞には、かなりの違いがあるようだ。親父は昭和2年生まれて、旧制中学から予科練に行った。敗戦になって、琵琶湖の近くにあった大津の航空隊から、飛行帽と軍刀だけを持って、会津に戻ってきたのである。死に後れた負い目を引きずったこともあり、36歳の若さで散り急いでしまった。世の中は、これから高度経済成長に突入しようとしていた矢先であった。東京オリンピックの準備が急ピッチで進められていた。親父のことで、小学校低学年であった私が覚えているのは、その切ない歌である。意味がよくつかめなかったが、それでも、「元を糺せば裸じゃないか」「運否天賦は風まかせ」「胸に日の丸抱いてゆく」「歌で国難吹き飛ばせ」という言葉が、この年になっても、耳に残っている。親父が死んだ年齢の倍以上も、私は長生きしてしまった。それこそ、太く短くと公言していたように、若いままの姿しかとどめていない親父の写真を目の前にして、還暦を前にした自分の不甲斐なさを、ついつい痛感してしまう。一度死を覚悟した者にとっては、その一線を越えることに、ためらいなどあるはずもなかった。国に殉じようとした親父の一途さを、私は息子として誇りに思っているし、その気持ちがあるからこそ、憂国の情がこみ上げてならないのである。
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