草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

「男なら」を口ずさんだ予科練崩れの亡き父を想う!

2012年01月15日 | エッセイ

 亡き親父が、何かあると口ずさんでいたのが「男なら」であった。昭和12年に歌われたバージョンと、今流布されている歌詞には、かなりの違いがあるようだ。親父は昭和2年生まれて、旧制中学から予科練に行った。敗戦になって、琵琶湖の近くにあった大津の航空隊から、飛行帽と軍刀だけを持って、会津に戻ってきたのである。死に後れた負い目を引きずったこともあり、36歳の若さで散り急いでしまった。世の中は、これから高度経済成長に突入しようとしていた矢先であった。東京オリンピックの準備が急ピッチで進められていた。親父のことで、小学校低学年であった私が覚えているのは、その切ない歌である。意味がよくつかめなかったが、それでも、「元を糺せば裸じゃないか」「運否天賦は風まかせ」「胸に日の丸抱いてゆく」「歌で国難吹き飛ばせ」という言葉が、この年になっても、耳に残っている。親父が死んだ年齢の倍以上も、私は長生きしてしまった。それこそ、太く短くと公言していたように、若いままの姿しかとどめていない親父の写真を目の前にして、還暦を前にした自分の不甲斐なさを、ついつい痛感してしまう。一度死を覚悟した者にとっては、その一線を越えることに、ためらいなどあるはずもなかった。国に殉じようとした親父の一途さを、私は息子として誇りに思っているし、その気持ちがあるからこそ、憂国の情がこみ上げてならないのである。

 人気ブログランキングへ

              ←命よりも大事なものがあると思う方はクイックを

 にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ
にほんブログ村  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

司令塔不在の民主党政権に固執するマスコミを嗤う!

2012年01月15日 | マスコミ評

 野田佳彦という政治家は、表に出るべき人間ではなかったのだろう。岡田克也を副総理兼一体改革相として入閣させたことで、事実上次の後継者に指名した。それをバックアップするかのように、読売新聞などは、岡田が首相になることを予想して、13日から14日にかけて行った全国世論調査では、岡田起用を評価するかどうかの設問をつくり、「評価する」が52パーセントあったことを、大々的に伝えている。そこまでしてマスコミは、民主党政権を延命させたいのである。ナチスが権力を手にするにあたって、表現主義という手法を取り入れたことは、あまりにも有名である。山岳映画をつくって、ドイツ人は優秀な民族だというイメージを定着させ、その一方では、ユダヤ人を、卑しい民族だと排除したのである。日本のマスコミも、こぞって民主党を持ち上げ、あたかも改革者の党であるかのように報道した。表現主義の方法を取り入れて、反自民というムードを盛り上げ、国民世論を誘導したのである。その責任を自分たちが取れないので、この場に及んでも、無駄な抵抗をしているのだろう。しかし、それは害毒にしかならないし、日本の政治を停滞させるだけである。さらに、今の民主党には、司令塔が不在なのであり、だからこそ、野田は岡田を巻き込んだのである。どうしてそれを、マスコミは問題にしないのだろう。

 人気ブログランキングへ

              ←今求められているのは解散総選挙だと思う方はクイックを

 にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ
にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする