吉本隆明、竹内好、橋川文三を読んで、保守民族派になった私にとって、ナショナリズムが社会変革のエネルギーになるということは、疑いを差し挟むまでもなく、自明のことであった。しかし、彼らと一線を画すことになったのは、マルクス主義が、死を宣告されたのを、ソ連崩壊によって思い知らされたからである。そして、もう一度、私たち日本人は、吉本がかつて体験したような、昭和初期に戻りつつあるのではなかろうか。昭和7年には血盟団事件、5・15事件、昭和8年には神兵隊事件、昭和11年には2・26事件が起きている。吉本にとっては、それぞれ9歳、12歳、13歳のことであった。そして、少年の日の吉本は、貧富の差から不合理を解決してくれるのは、憂国の志士たちではないのか、と思ったはずだ。もちろん、吉本はそこにとどまったわけではない。60年安保闘争の教祖として、全学連主流派の同伴者であった彼は、少年の日の火照りを切り捨てることに、全力を傾注した。だが、その瞳に映し出された日本人の情念は、サヨクの側よりも、保守民族派に、一つの指針を与えたのである。インテリではなく、大衆が反乱を起こせば、砂川闘争がそうであったように、そこで口ずさまれるのは「赤とんぼ」であり、日本の失われた風景を取り戻そうとする唱歌なのである。
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